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最近の「ひきこもり」事情


ちょっと前まで、「ひきこもり」というのは、
批判の対象にされることが多かった。
働きたくないだけの怠け者とか。

それがこの頃、ちょっと様子が違ってきたらしい。
「ひきこもり」というのは、社会になじめない可哀想な人で、
同情するべき対象として扱われることが多くなってきた気がする。


「今、何してるの?」

「えーっと、まあ、なんて言うか、ひきこもりみたいなもんです。」

「あら、それは可哀想に。いい先生紹介しましょうか?」

なんて会話が交わされる日がくるなんて、思ってもみなかった。


実際にココロを病んで「ひきこもり」になった人もいるだろうから、
むやみに一般化することはできないけれど、
個人的に「ひきこもり」は病気ではないと思っている。

だから、病院での診察をすすめられても困るし、
早く治ればいいわね、なんて哀れみの目で見られると、
どう反応していいのかわからない。

実際、平均的な「働き人」よりもよっぽど健康的で
人間らしい生活をしているわけだし。
不幸でもなければ、社会復帰を望んでいるわけでもない。

「ひきこもり」というのは、極めて自然な
生存本能に基づく行動だと思うのだけど、
このまま「ひきこもり」人口が増え続けたら
困る人たちがいるらしい。

いくらネガキャンして弾圧しても効果がないから、
今度は病人扱いして隔離でもするつもりなんだろうか?

生き辛い、生き辛いと言われていたけれど、
「ひきこもる権利」が認められていた頃は
ひょっとしてまだマシだったのかもしれない。

社会をドロップアウトする権利さえ認められなくなった
未来がどんなものなのか、想像すらしたくない。

この、どーにもこーにも「キナ臭い感じ」が、
ワタシの被害妄想であればいいけど。

ひきこもり、万歳。
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生まれる順番、死ぬ順番


身近な人が亡くなると、どうしても思ってしまうことがある。

何でこんなにいい人がこんなに早く逝ってしまって、
自分はまだ生きているんだろうって。

「お前が死ねばよかったのに」って
直接言われたわけではないけど、
そう思っている人はいるだろう。
そもそもワタシが自分でそう思う。

代われるものなら代わりたい。
でも例えワタシが死んでも、
別の誰かが生き返るわけではない。

生と死の境は紙一重。

どうして、っていくら考えても答えは見つからないから、
きっと「順番」があるのだと思うことにした。

生まれてくる順番を変えられないのと同じように、
死ぬ順番も決まっているんじゃないかって。

人間、自分の力ではどうしようもないことがある。
それを運命と呼ぶなら呼べばいい。

「美人薄命」なんて言葉もあるし、
「順番」に納得がいかないケースは、
世の中いくらでもあるはず。

中途半端に生きている「ひきこもり」に限って
なかなか順番が回ってこないとか。
理不尽だけど、仕方ない。

誰しも必ず順番はやってくる。
それが早いか遅いか、ただそれだけ。
人生、長く生きればいいってもんでもない。

亡くなった人の分まで立派に生きようなんて
偉そうなことは言えないけれど、
自分の順番が来るのをぼんやり待つのはもったいない。

自分に残された時間があとどれくらいなのかはわからない。
わからないからこそ、いつ順番が回ってきてもいいように
悔いのないよう生きようと思う今日この頃。

死がすべての終わりではないといいな。
この世を去った人たちが、
あの世で元気に笑っていてくれればいいな。

ひきこもり、万歳。

イジメられっ子な「ひきこもり」


身も心も、どっぷりまったり
「ひきこもり」生活に浸りきっていたワタシですが、
諸事情で数ヶ月の間「働き人」に戻っていました。

自慢じゃないですが、ワタシは
超マイペースな上に非社交的なので、
イジメの標的にされやすいタイプです。

今回の場合は、数年のブランクがある
「ひきこもり」を引っ張り出してくるくらい
テンテコマイな状態なので、みんなそれぞれ
自分の仕事に手一杯。

「ひきこもり」にかまっている余裕はゼロだったので、
何とか無事に生きて帰ってくることができましたが、
それでも時々、昔のトラウマを思い出したりしてました。

学校でも職場でもご近所でも。
基本的にどこにでもいるじゃないですか。
イジメっ子体質の人って。
あれホント、一体何なんでしょうね?

客観的に分析すれば、誰かを虐げることでしか
自分の価値を見出せない可哀想な人、なのかもしれないし、
イジメという行為を通してしか周りとコミュニケーションを
取ることができない不器用な人、なのかもしれない。

でも、実際自分がターゲットにされている時は、
そんな事情知ったこっちゃないですよ、ぶっちゃけ。

イジメっ子は死刑に値する、
と本気で思ってましたから、ワタシ。

昔はワタシも若かったですから、
無視したり、反抗したり、イロイロしましたが、
ワタシの最終的な結論は、「逃げるが勝ち」です。

あーゆー人種は、こっちがどう対処しようが
変わらないですから。

逃げて、逃げて、逃げて。
「ひきこもり」になって、
それなりに平穏無事な生活を送れるようになって、
やっと自分の人生を幸せだと思えるようになった。

「逃げる」って言うとネガティブな感じがするし、
賛否両論あるだろうけれど、
そんなに悪いことじゃないんじゃないかなと思う。

我慢して、立ち向かって、戦って、
気がつけば自分が鬼になっているよりも、
逃げて、逃げて、逃げて、
人間のまま死ぬ方がいい。

ひきこもり、万歳

「働き人」は言い訳三昧

身も心も、どっぷりまったり
「ひきこもり」生活に浸りきっていたワタシですが、
諸事情で数ヶ月の間「働き人」に戻っていました。

ブログの更新もせず、休みの日は基本的に
ひたすらマンガ&ゲーム三昧で、
それはそれは怠惰な日々を送っておりました。

「ひきこもり」だった頃の方が
よっぽど規則正しい生活送っていたんだけど、
これって世間のイメージとは逆なのよね。

で、考えてみたんだけど、「働き人」には
水戸黄門の印籠みたいな大義名分があるんですよ。

「だって働いてるんだから」ってヤツ。

「平日必死で働いてるんだから、
休みの日ぐらいぐだぐだしてもいいじゃん」
とか、
「頑張って働いてるんだから、好きなことに
お金使ったっていいじゃん」
とか、
「働いて疲れてるんだから、家のことまで
手が回らなくて当然じゃん」
とか。

「イロイロ我慢しながら一生懸命、働いているのに、
プライベートの時間まで努力しないといけない理由が
わからない」って言われると、「ああ、そうかな」って
納得しそうになるけど、やっぱり何か違うと思う。

労働って、自分の人生を犠牲にしてまですることなの?

働いてさえいれば、
それ以外のことが全部ダメダメでも許されるの?

「ひきこもり」ってさ、「働き人」みたいに
お金を稼いでくるわけじゃないんだけど、
それ以外のことは結構きちんとやってたりするんだよね。

だって「働いてるんだから」って言い訳できないから。

より自分を自分で律することができるのは、
言い訳三昧の「働き人」より
すべて自己責任の「ひきこもり」
なのかもしれない。

ひきこもり、万歳。

「働き人」の脳疲労

身も心も、どっぷりまったり
「ひきこもり」生活に浸りきっていたワタシですが、
諸事情で数ヶ月の間「働き人」に戻っていました。

いやー、ホント、もー無理っす。
向いてないっす。

何が疲れるって、「脳みそ」が疲れる。
何にも考えたくなくなって、
いわゆる「知的なこと」に関わりたくなくなる。

頭使うのが嫌になるって言うかさ、
あれ、一体何なんだろう?

いえ別に、「ひきこもり」だった頃のワタシが
知的な生活を送っていたって訳じゃないですが、
もうちょっとイロイロ考えてたと思うんですよ。

「働き人」だって、夜は自由だし、
休みの日もあるんだから、ブログくらいは続けられる
と思ってたけど、全然全く無理だった。

文章を書くのも読むのも脳みそが拒否するんだもの。

基本的にストレスに弱くて、
怠け者体質だからかもしれないけれど、
「働き人」だった間、自由な時間は
ひたすらマンガとゲームに費やしてました。
一体いくら注ぎ込んだのか計算したくない。

外で働くと脳が疲れるなんて言うのは、ワタシだけ、
だったらいいけど、
「働き人」のほとんどが思考放棄しちゃったら、
そりゃ社会は崩壊するだろーね。

無駄遣いするお金もなく、スプラウト栽培と
自炊に時間がかかる「ひきこもり」生活のほうが、
ホントよっぽど健全です。

ひきこもり、万歳。
プロフィール

KIKI

Author:KIKI
今、必要なのは、情報に流されず、変化を恐れない「強かさ」と「しなやかさ」。シンプル・ミニマム志向で、消費の縮小と健康の維持に取り組む「ひきこもり」のブログ。(コメントは有難く読ませていただいていますが、現在お返事をする余裕がありません。何卒ご了承ください。)

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