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移行期を生きる。

ワタシのいつもの悪いクセですが、どうも焦って先走りすぎていたようです。

新しい社会に必要な知識は何だろう?
新しい社会で役に立つ技術は何だろう?
ってイロイロ考えて、行き詰ってました。

例えば自然農や保存食について学ぶコト。
ニンゲンが光合成で生きていけるようになったら、別に必要ないじゃん、とか。

スプラウトを育てるコト。
種や水が手に入らなくなったら結局続けられないじゃん、とか。

今ある便利なモノをすべて捨てて、原始時代の生活を
送る覚悟がないと意味ないじゃん、とか。

リサイクルエネルギーの開発をしたり、
水が汚染された時に備えて浄水器を設計したり、
いっそのこと技術者に転向するべきかも、とか。

ものすごく極端なコトを結構本気で考えていた。

まずは「今の社会」を終らせなければ
次の「新しい社会」は始められないのに。

「今の社会」を終らせつつ、「新しい社会」を作り始めるという
「移行期」という存在を見事なくらい忘れていた。

将来的に「新しい社会」が本格的に機能しだしたら、必要なくなる
だろうけれど、「移行期」には、とても役に立つ、大切な知識や技術が
イロイロあるのだということを、すっかり見落としていた。

ワタシがブログの更新もサボって、鬱々としていたのは、
そんな「移行期」だからこそ、やるべきことがあるはずなのに、
それをすっ飛ばして「次の社会」ことばかり考えてたから。

「移行期」という存在を無視して、
「今やるべきこと」の答えが見つかるわけがない。

わかっているヒトにとっては、当たり前のことなんだろうけど、
自分が今、生きているのが、「移行期」なんだと改めて気づいた。

100%「これまでの社会」でもなく、
100%「新しい社会」でもない「移行期」。

ものすごく厳しく、貴重な経験をすることになるであろう、
この移行期の生き方を見つけたい。

ひきこもり、万歳。
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移行期の難しさ。

100%「これまでの社会」でもなく、100%「新しい社会」でもない「移行期」。

今が「移行期」だと気づいているヒト、一体どれくらいいるんだろう?
今が「移行期」だと気づいて、動き出したヒトは、どれくらいいるだろう?

調査してみるまでもなく、マイノリティでしょうね。
下手したら、キ○ガイ扱いされる危険性もあるし。

でも、周りが相変わらずの生活を送っているからといって、
自分も同じように世の中の動きに無関心でいて、大丈夫なわけがない。

「赤信号、みんなで渡れば怖くない」って標語、
アレ、実はすっごい恐ろしいよね。

みんなで渡ろうが、一人で渡ろうが、
ダンプカーが突っ込んでくれば、全滅するんだから。

「TPP、みんな奴隷なら怖くない」って冗談じゃない。
ワタシは嫌です。奴隷になんかなりたくない。

だからワタシは、周りに合わせるよりも、キ○ガイ扱いされる方を選ぶ。

でも、次のステップに進みだしたヒトと、
まだ旧システムの中で生きているヒトの共存は、
やっぱり、難しいと思う。

自分の周りに、これまで通りに生きているヒト、
これからも、ずっと、これまでと同じように、生きていけると
信じてるヒトが、まだ大勢いる状態。

この状態、結構キツかったりするんだな。

特に家族や親友など、自分の大切なヒトが「旧システムどっぷり系」だと
本当にやりきれなくなる。

お互いにお互いを大切に思っているけれど、理解し合えない歯がゆさ。

説得すべきか、自発的に気づくのを待つべきか、
いっそのこと「洗脳」してしまおうか・・・。

そんなヒトを見ていると、自分の方が変なんじゃないかって
思ってしまうこともある。

辛く厳しい変化に備えるよりも、このまま大丈夫って信じて、
これまでの価値観の中にとどまる方が、ラクだし、
ひょっとしたらそれが「正解」なのかも、とか。

必死で次の世界について考えている自分が馬鹿らしくなったりもする。

自分で決めたことなんだけど、諦めたくなるような誘惑がたくさんある。

だから、「移行期」は難しい。

でも、わずかに残された「猶予期間」であるこの「移行期」を
有意義に使わなければ勿体無い。

周りに流されて、動き出すのを躊躇していれば、きっと後で後悔する。

頭では、わかっているんだけど・・・。

迷いつつ、悩みつつ、3歩進んで2歩戻る。

進んで、戻って、休憩して。
それでも、少しずつ、少しずつ、前進する。

ちょっとずつ、でも着実に、移行期を生きる。

ひきこもり、万歳。

移行期の意味。

一体どのくらいの間、「移行期」が続くのだろう?

不確定要素が多すぎて微妙な所だけれど、あと数年、
「どっちつかず」の状態が続くのではないか、とワタシは思っている。

一夜にして紙幣価値がなくなったり、戦争が勃発したりしたら、
悠長なこと言ってられなくなるだろう。

しかし、今の所、我々には、まだ多少の「猶予期間」があるらしい。

機能不全となった今のシステムから距離を置くための時間。
今と全く異なる社会を作る準備をする時間。

一度に全部を変えようとして混乱するくらいなら、
少しずつ変えていけばいい。

例え、残された時間が、それほど長くないのだとしても、
焦って極端な行動に走ってパニくるよりはマシだと思うから。

新しい社会への移行が
できるだけスムーズに行くように。
なるべく痛みを伴わないように。
最小限の犠牲で済むように。

今、自分がどの段階にいるのか、きちんと意識しなければ、と思う。
そして、今の時点でできることを、きっちり押さえておこう、と思う。

しなやかに、強かに、移行期を生きる。
ひきこもり、万歳。

「未来は白紙」は移行期だから。

例えば資本主義の崩壊が誰の目にも明らかになった時、
「資本主義の崩壊」という事実は決定的だ。

そうなってしまってから、
資本主義の崩壊を防ごうとしても遅すぎる。

空気も吸えない、水も飲めない、作物も食べられない、
そんな状況になるまで地球を汚染してしまってから、
自然を回復させようとしても、もう手遅れ。

移行期の最大の特徴は、まだ多少の選択肢があるということ。

最悪の事態を避けるという選択。
大難を小難にするという選択。

まだ選択肢があるから、厳しい道を選ぶよりも、
ラクな道を選ぶヒトがいて、決断を先送りにするヒトがいる。
でも、選択肢がなくなってから焦ったって遅い。

「未来は白紙」というけれど、
未来が白紙なのは、移行期の間だけだと思うんだ。

今、動かなくて、いつ動く?

そう思って、ワタシは動く。
ひっそりと、ちょこちょこと、ワタシは動く。

ひきこもり、万歳。

移行期はカルト社会。

ワタシは、今、移行期であると思っていて、
その考えに基づいて決断をし、行動している。

とりあえず書き始めて、もうすでに記事もアップしちゃったけれど、
「移行期」シリーズのお披露目、実はちょと迷った。

今、移行期だと信じていること。
それは、ある意味「宗教的」であり、一種の「カルト」だと思うから。

2012年12月、人類が滅びると信じているヒト。
アセンションが起こると信じているヒト。
宇宙人が地球を征服しにやってくると信じているヒト。

現在の資本主義社会が永遠に続くと信じているヒト。
原発は安全だと信じているヒト。
政府はウソつかないと信じているヒト。

お金があれば幸せになれると信じているヒト。
○○教こそが本物だと信じているヒト。

実は大して違わない。

ものすごく乱暴な言い方をすれば、
今の社会に生きるヒトはすべて、
みーんな何らかの形で洗脳されている。
どっかのカルト教の信者なのだ。

誰もがそれぞれ違うコトを信じている。
どんなホラーよりも現実はオカルト。

ワタシの考えていることが、「絶対」だとは思わない。
「唯一無二の真実」だとも思わない。

それでも、ワタシは自分が正しいと思うことに基づいて生きる。

ワタシの人生は、ワタシのものだから。
誰のせいにもしたくないから。
これから何が起こっても、後悔したくないから。

ワタシの信じる「宗教」。
教祖は「自分」、教本は「自分の良心」、信者は「自分一人」。

ひきこもり、万歳。

見えてきたシナリオと、新たな課題。

12月になりました。2011年ももうすぐ終り。

何事もなく大晦日を過ごし、
無邪気にお正月を迎えていた「あの頃」が懐かしい。

経済は相変わらず不安定で、
核もアチコチでプスプス燻っているし、
ココに来て中東のキナ臭さったらない。

いろいろ出揃ってきましたが、
闇の勢力が、これから社会をどんな方向に
もっていこうとしているのか、という点について、
シドニーおちんさんが知り合いから聞いたというシナリオを
ぶっちゃけてくれました。

12月2日に更新された記事、何度も何度も読み返しています。

そんなにストレートに書いて、大丈夫?ってくらい
わっかりやすく説明してくれているので、
コメント欄を含め、本当に本気で一読の価値あり、です。

必死でサバイバルスキルを身に付けて生き残っても、
結局「う○こ達の奴隷」にされちゃうんじゃあ
死んでも死に切れん。むしろ死んだ方がマシなのか?
って思うかもしれない。

そんでもって、この最低最悪の未来を変える方法ってのが、
「良心をもった波動の高い地球人」になって祈ること?
こりゃまた滅茶苦茶ハードル高いじゃないっすか。
ってため息つきたくなるかもしれない。

なんでこんな厳しい試練の時に生まれてきちゃったんだろう?
ってワタシも思った。

そして、その答えが
「エゴを捨てて、利他主義で生きることを学ぶため」なら、
この課題に正面から向き合うしかないんだろうね、と
腹を括ったところ。

「良心をもった波動の高い地球人」とはいかなるヒトぞや?

どうすれば「良心をもった波動の高い地球人」になれるずら?

破壊力抜群のおちん爆弾。
あっぷあっぷしながら消化中。

ひきこもり、万歳。

移行期の選択。

最悪な「破壊の未来」の方向に、
一歩一歩近づいている気がする今日この頃。

でも、まだ完全に終ったわけじゃない。

のんびり穏やかで「平和な未来」も、
きっとどっかに残っていると思うんだ。

「幸せな未来」というちっちゃなカケラが
目立たない隅っこの方に消えそうになりながらも
まだ存在していると信じてるんだ。

ほっておけば、間違いなく実現してしまうであろう「破壊の未来」ではなく、
奇跡的な実現確率であるだろう「平和で幸せな未来」に向かうには、
一体どうすればいいんだろう?

ただ祈るのか?

いや違う。

「利己に基づく自分を無くして他己に基づく選択」をすることで、
未来は変えられるらしい。

「利己に基づく自分を無くして他己に基づく選択」って一体何ぞや?
って思った方、ぜひシドニーおちんさんの記事をお読みください。

おちんさんの体験談満載の「未来の変え方についての考察」シリーズ。
うぉーなるほどーめっちゃ納得!と叫びたくなる衝撃的記事です。

未来の変え方についての考察1
未来の変え方についての考察2
未来の変え方についての考察3

「平和で幸せな未来」。
ニンゲンが、自然を支配したり、互いに競い合ったりしない世界。

のんびり穏やかに誰もが笑って生きているパラレルワールドの存在を、
どうやらワタシは、まだ信じているらしい。

冷静で、極めて悲観主義に近い現実主義者だと思っていたワタシは、
実は楽観主義者だったのか?!

いいえ、ワタシは、最後の最後まで希望が捨てきれないだけなんです。
諦めの悪い、ひきこもり万歳。

憂鬱な12月。

毎年12月になると疎外感でいっぱいになる。

めったに外に出ない。ほとんど誰にも会わない。
そんな「ひきこもり」のワタシでさえ、12月は憂鬱になるのだ。
フツーに生活しているヒト達はさぞかし大変だろう。

プレゼントもパーティーもケーキも関係ない。
紅白も年越し蕎麦もお節もお年玉も年賀状も関係ない。
何もかもがどーでもいい。

世界中が一斉にお祭りモードになるのが不思議。

震災も原発も、何事もなかったかのように
イベントを楽しもうとするヒト達が不思議。

「ひきこもり」のワタシですら感じる、妙に浮かれた世間の空気。
ワタシはコレが苦手で苦手で仕方ない。

特に今年は、いつもより厳しい。
アレもコレもいろんなことが起こった2011年。
徐々に問題の輪郭が見えてきた2011年。

なんでみんなのんきに笑っていられるんだろう?
キナ臭い動きにどうして気づかないんだろう?

情けないやら悔しいやら羨ましいやら腹立たしいやら、
何がなんだかわけわからなくなる。

この時期、自分の内側と外側のバランスを保つのが難しい。

最近チョット冬眠モード。
ひきこもり、万歳。

無浴から無欲へ。

ワタシ、シャンプーやボディーソープの類を一切使わない人です。
化粧もしないし、石鹸の使用も最低限。
衣類は洗濯ボールで、食器は熱湯で洗うのが基本。

そんなワタシのバスタイムは超シンプル。
シャワーを浴びながら手ぬぐいで身体中撫でて終り。

憂鬱な12月には、このテキトーな入浴すら億劫になる。
それでなくても少ない活動量がさらに減りまくる12月。

しかし、このズボラーさが、
ものすごい発見につながったのです。

それは、ウチからリンクを貼らせていただいている
「ぺんぎんさん」の所での「運命の出会い」でした。

その名も「EM無浴法」。

EM稀釈液で濡らしたタオルで全身を拭くだけ。

「面倒くさがり選手権」優勝候補のワタシは、
もちろん早速試してみました。

ちなみに本家ではEM1原液か活性液を使っていらっしゃるようですが、
ワタシは「米のとぎ汁発酵水」と「大麦リジュベラック3番搾り」で代用。

1ケ月ちょっと過ぎた今、もう風呂は要らんな、と本気で思ってます。

ワタシの場合、身体を拭くのは「米のとぎ汁乳酸菌」が、
髪には「大麦リジュベラック3番搾り」が向いているようです。

湯シャンの時はちょっとベトつくこともあった髪が、
びっくりするくらい柔らかくサラサラになりました。

普段は髪の毛がある程度の長さになると、
バリカンでガーと刈ってしまうのですが、
このしっとりすべすべの手触りを楽しむべく、
しばらく伸ばしてみようかしらん、と調子に乗ってる今日この頃。

何をしても自由な「ひきこもり」でない場合は、
実際に試そうと思っても、家族からの抵抗や
仕事関係の制約があるかもしれません。

でも、いざと言う時のために、
シャンプーやボディソープを使わずに、
身体や頭を清潔に保つことができる方法を
知っておいて損はないと思うんですよ。

昔は自分の預金通帳に「金」が増えていくのが快感でした。
今は自分の身の回りに「菌」が増えていくのが嬉しくて仕方ない。

「金」より「菌」が愛しく思えてくると、今までしがみついていた世界が、
笑っちゃうくらいウソっぽく見えてくるから不思議。

「無浴」から「無欲」へ。

今日もひっそり脱洗脳。
ひきこもり、万歳。

サンタさんへ。

今年一年「いい子」でした。
いっぱい頑張りました。

嘘もつかなかったし、誰も騙さなかった。
出来るだけ他人を傷つけないように、ひっそり生きてきました。

天に誓って悪事は働いておりません。
良心に従って真っ当に生活しています。

そんなワタシのお願いはただ一つ。

311後の日本に起こった事。
どうか悪い夢だったとおっしゃってください。
悪質な「ドッキリ」でもかまいません。

風光明媚。
自然が豊かでお酒も食べ物も美味しい。
そんな日本を返してください。

明日、目が覚めたら全て元通り。

そんな奇跡を願いつつ。

ガラにもなくメリークリスマス。

ひきこもり、万歳。

謹賀新年。

とうとう2012年になりました。

へたれな「ひきこもり」の戯言を読みに来てくださる皆さま、
どうも有難うございます。

ブログを始めて早2年。
ワタシ自身にも社会にも、大小さまざまな「変化」がありました。

それらの「変化」を少しでもよりよい未来につなげるべく、
ささやかながら、自分の頭で考え、自分の手足を動かして
いこうと思います。

物に関しては、よりミニマムに、生活面も、よりシンプルに、
エゴを捨てて、利他主義に生きる。

やるべきことはわかっていても、実際にやるのはなかなか困難。

2012年、きっと昨年以上に世界中で動きがあることでしょう。

今年も「ひきこもり」のワタシが、迷ったり、立ち止まったり、
戸惑ったりしながら、悪足掻きする様子を記録に残しておく予定です。
時々で結構ですので、気が向いた時にでも、
のぞきに来てやってくださいませ。

2012年が、地球と人類がよりよい方向に進むための
大きな転機となりますように。

ひきこもり、万歳。

今年の抱負?

以前「なぜ死なないのか。」というコメントをもらったことがある。

その答えを今更ながら、端的に述べると
「まだカルマを清算できていないから。」だ。

自分の「カルマ」が何か、実際にはよくわからないんだけれど、
何となく感じていることがある。

資本主義や消費主義など、今の社会を良くない方向に進めている
傾向になるべく関わらないようにして、
利己を消し去り利他に基づく選択をして、
できるだけシンプル・ミニマムに生活していれば、
どんな「カルマ」を持って生まれたにしろ、
自然に解消するんじゃないか、ということ。

まあ結局、シンプル・ミニマム志向、消費の縮小、健康の維持、って
ずーっと、ずーっと、ずーっと、何度も何度も何度も、
このブログで言い続けてることなんだけどさ。

でも、へたれなワタシはなかなか「極める」ことができないので、
少しは新しいコトにもチャレンジしつつ、今年もまた同じコトを
繰り返し書いていく所存です。

「ここまでやれば十分でしょ。」って、
「我ながらよく頑張ったんじゃない。」って、
「もうこれ以上は無理です。」ってトコまで持てる力を出し切って、
「自分で自分を褒めてあげたいです。」って納得できるような生き方を
今年こそは目指したいと思います。

以上、三が日の妄想でした。

ひきこもり、万歳。

他己に生きることの注意点。

自己を捨て、他己に基づく選択って、実際にやってみようとすると、結構迷う。
「受難礼賛」という、とっても大きな落とし穴があったりするし。
「他己主義」って勘違いされやすいと思うんだ。

全てを捧げることじゃないんだよ。
誰かに尽くしまくることじゃないんだよ。
どんな無理難題でも受け入れることじゃないんだよ。
何でもカンデモ許すことじゃ無いんだよ。
虐げられて悦ぶ真正マゾになることじゃないんだよ。

「受難礼賛」の罠に嵌っちゃダメよ。
みんな気をつけてね。

利他と利己に迷った時に使えるとっておきの方法をお教えしましょう。
元ネタは例によって「おちんさん」。

前に紹介した「未来の変え方についての考察3」のコメントまで
じっくり読むと書いてあるんだけど、読んでないヒトもいるでしょう。

コメント欄に埋もれさせておくにはモッタイナイくらい、
とっても大事なことだと思うから、抜粋して張り付けちゃいます。

「自分のミスを他人に押し付ける同僚のフォローを黙ってしてあげるのは
利他なのか利己なのか、仕事が終ってないのに定時で帰る同僚の分も
自分が残業してカバーしてあげるのは利己なのか利他なのか」
っていうような質問へのおちんさんの答えです。

~引用ココから~
これは、今から30年くらい前のアメリカで、宇宙と交信することがでけるという南米のおばぁさんに教えてもらったことで、ワタスはそれ以来、迷った時はこの言葉通りにしてみることにしたんだよ。それでものっすごく楽になったよ。

 「 From Mother's position, Mother's eyes 」母親の立場で母親の目で見てご覧なさい、ということだね。

人に自分のミスを押し付けて、定時でさっさと帰っていく人を我が子としてみてご覧なさい。ってこったね。
自分が母親になる。すると、くぉぅっらっ!人に迷惑かけんじゃねー。どーしても定時で帰らにゃならん用があるなら、すみません、今日のところはお願いします、次にワタスがあなたの代わりに残業します。っくらい言いやがれや。あぁぁあぁんっ?おっかーちゃまは悲しっ!情けなかっ!となる。
母親は常に我が子が他人様に迷惑をかけず、自立して、人助けまででける愛情深い大人になるよう育てるんだね。そのために時々はワガママも許して、甘いお菓子も食べさせて、でも、きっちり歯を磨くことを徹底させる。これは自分のためではなく、我が子という人のため。つまり利他なんだね。

母の立場で母の目で選択をしていくと、自ずと利他となる、ということをワタスはそのおばぁさんにおせーてもらったんだ。うまくいかんことは多いが、これを守ると楽になる。

ちなみに、この母親とは、実際の自分の母親でも、実際の母親である自分でもなく、自分が理想とするなって欲しかった母親、なりたい母親なんだそうだよ。妄想の仮想の理想でいいらしい。
                                            ~引用ココまで~

甘やかすだけでもなく、厳しく躾けるだけでもなく。
優しくするだけが「愛」じゃない。
嫌われても、憎まれても「NO」と言わなきゃいけない時がある。

この「From Mother's position, Mother's eyes」の教え、
ワタシは勝手に「オカンの視点」と呼んでいる。

他人との付き合い方だけじゃなくて、
社会との関わり方や自分の生活と行動を
「オカンの視点」でチェックすると
これまでとは少し違った見方ができるような気がするんだ。

自分の中の「オカン」を悲しませない生き方。
自分の中の「オカン」に恥じない生き方。
自分の中の「オカン」を喜ばせるような生き方。

そんな生き方を貫きたい。
ひきこもり、万歳。

1月17日。


震災で家族を失ったヒトがいる。
震災で仕事を失ったヒトがいる。
震災で家を失ったヒトがいる。

震災をキッカケに結婚したヒトがいる。
震災をキッカケに離婚したヒトがいる。

震災の後、故郷に戻ったヒトがいる。
震災の後、移住を決意したヒトがいる。

あれから17年。
元通りに復興したかのように見える神戸の街並み。

消えた命と消えない傷跡。

毎年思うのは、あの震災がなければ、
ワタシはきっと違う生き方を選んでいただろうということ。

震災が与える影響は測り知れない。
これまでも、そして、これからも。

今もまだ、しぶとく生きている自分。
何ができるのか、何をすべきか。
改めて考え、動かなければと思う。



黙祷。



貧乏人こそ「仙人」目指せ。

「低所得者ほど不健康なヒトが多い」というような
調査結果が出たらしい。

調査によると、低所得者は、お金がなくて野菜が買えないとか、
運動する時間や自炊する時間を確保できないとか、
生活習慣に問題がある傾向が高かったという。

「お金」も「時間」も「ココロの余裕」もない場合は
仕方ないかなあ、とも思う。

ワタシも「ひきこもり」にならずに
貧乏暇なしのワープアを続けていたら、
きっと不健康街道まっしぐらだったに違いない。

でも、例え低所得者でも、「時間」と「ココロの余裕」があれば
結果は違ってくるはず。

だって、ワタシ、無職の「ひきこもり」で超貧乏だけど、
生活習慣の問題ゼロの健康優良児だもの。

「食」に関して言えば、お金がなくても健康に生きることは可能だ。
ただし、これまでの食生活とキッパリお別れする覚悟さえあれば、の話だけど。

ワタシは、数年前から粗食、菜食、少食を心がけて生きている。
最終的に何を目指しているかと言えば、「不食」だ。

霞を喰って生きられる仙人になりたい。

まあ、いきなりは無理だろうから、ちょっとずつ、ちょっとずつ、
アタマとカラダを慣らしているところ。

参考までに、一日に青汁一杯で生活する場合の一ヶ月の
食費を計算してみた。

自分で小麦若葉を育てて搾るなら、
約60mlのジュースに必要な麦は大体50g
一ヶ月で1.5kg

生産者から直接買ったら、もっと安くなるだろうけど、
通販で3kg5000円の小麦を買ったとして、月2500円。

ちなみに、生玄米だけを一日81粒食べるとしたら、
玄米一粒が約0.022g一年で約650g

5kg3000円の上等な無農薬米を買ったとしても、
一年間の米代、約400円。

「貧乏だから不健康で当然」じゃなくて、
「貧乏だからこそ仙人目指せ」ってワタシは思う。

まあ、実際、不治の病にでもならなきゃ、
青汁と生玄米にたどり着くまでの道は
まだまだ長い気がするんだけどね。

でも、イザとなれば、青汁と生玄米さえあれば
生き延びられるって知ってるだけでも
心強いと思うんだ。

麦と玄米。
豆乳ヨーグルト作るなら
プラス大豆、塩、黒糖。

必要最低限は以上。
これ以外は全部「嗜好品」扱い。

そんな食生活に変えられたら、
お金も時間も節約できて、
身も心も軽くなって、
健康なカラダと、すっきりしたアタマで、
だいぶラクに生きられるだろうな。

シミュレーションは、完璧。
ひきこもり、万歳。

「濾さないナッツミルク。」

ワタシは、牛乳を買うのをやめたので、
「ミルク」が欲しい時には、豆乳かナッツミルクを作ってます。

水に漬けて、ミキサーにかけて、過熱して、濾して作る豆乳に比べれば、
加熱しない分、ローのナッツミルクは手軽だと言えなくもない。

でもさ、毎週毎週作ってて、ワタシ、思ったんだよね。
コレって濾さなくてもいいんじゃないって。

だいたい、ワタシ、ミルクをミルクのまま飲まないもん。

小腹が空いたときにシリアルにかけるとか、
ドレッシングやパスタソースをクリーミーにしたい時に
混ぜるとか。そんな使い方しかしないんだよ。

ということは、ナッツミルクを液体と搾りかすに分ける必要ないんだよね。

ナッツミルクバッグなんてオシャレなモノは
もともと持ってないので、いつもガーゼで搾ってた。

搾ると洗い物も洗濯物も増えるし、
「搾りかす」を捨てるなんて勿体無くてできないから、
「何か」作らなきゃいけなくなる。

浸水しておいたアーモンドを洗って、水と一緒に
ミキサーでガーするだけなら、ガーゼは要らないし、
洗い物も最低限で済む。「かす」の処理を考える必要もない。

もう超簡単です。

料理でもなんでも、基本を押さえるのは大事だと思う。
とりあえず最初は、基本に忠実にやってみた方がいいでしょう。

でも、ある程度慣れてきたら、自分の生活習慣とか、
「クセ」とか「好み」とかを考慮してアレンジしちゃえばいいんだよね。

そうやって自分で考えて、工夫して「自分流のやり方」を身に付けることが、
「生きる」ってことなんじゃないかなあ。

なーんて。

ミキサーでガーしただけの「濾さないナッツミルク」を作りながら、
言われた通り、教えられた通りにしか動けない、
ロボットみたいな元同僚のことを思い出していたのでした。

手間を省く系のアレンジが得意です。

ひきこもり、万歳。

炊事・洗濯・掃除の話。

もうすぐバレンタイン。
意中の相手にチョコを贈ろうと画策しているヒトもいるだろう。

長いようで短い、山あり谷ありの人生。
苦楽を共にする伴侶がいればいいな、と思うこともある。

でも、一体どんな相手を選べばいいのか。

「3高」(高学歴・高収入・高身長)なんてどーでもいい。

最近は「3平」(心の平穏・平均的な収入・平凡な家庭)
なんて言葉もあるらしいけど、うーん。微妙。

それで「幸せ」になれるんだろうか?

「3D」(妥協・打算・惰性)で相手を選ぶと後悔するらしい。
それは、そうだろうと思う。

じゃあ、何を基準にするか。

「3S」(炊事・洗濯・掃除)かな、と最近思うんだ。

炊事・洗濯・掃除を心を込めて出来るヒト。
家事労働の価値を認識しているヒト。
最低限の生活力があるヒト。

炊事・洗濯・掃除って、生きる基本だなあって、つねづね実感してるんだけど、
家事労働に対する一般的評価って、ものすごい低いよね。

確かに専門的な知識も技術も必要ない。
手を抜こうと思えば抜けるし、適当にしようと思えばできる。

でも、心を込めて、丁寧に取り組むのは結構難しい。
たかが家事、されど家事。

炊事・洗濯・掃除を軽視しているヒトって、つまり、
生活の一番抜本的な部分を疎かにしているってことで、
それって人間としてどうなの?って気がする。

生きることの意味を理解しようとしているヒト、
自分の命を精一杯生かそうとしているヒト、
そういうヒトは、炊事・洗濯・掃除を丁寧にするヒトだと思うんだ。

まあ、パートナーを見つける前に、自分自身が
「きちんと炊事・洗濯・掃除を出来るヒト」に
ならなきゃいけないんだけどね。

人生日々修行。

ひきこもり、万歳。

移行期にやるべきこと。

もうすぐ現システムが崩壊すると予測しているヒト。
資本主義の終焉を信じているヒト。
今の社会に未来なんかないと思っているヒト。

どーせ全部潰れるなら、
残りの人生を好きな事して過ごそうとするだろう。

でも「好きな事」って何?
「自分の本当にやりたいこと」、って何?

絵を描いたり、歌ったりすることが苦手な非芸術系のワタシ。
飲んで、踊って、どんちゃん騒ぎしたいとも思わない根暗なワタシ。

最後の旅に出ようと思うヒトもいるだろう。
今あるお金をキレイさっぱり使い切って、グルメ&ショッピング三昧。
最後の贅沢を楽しもうと思うヒトもいるだろう。

旅や食に関することは好きだったけれど、段々興味がなくなってる。

遊んで暮らそうと思うヒトもいるだろう。
でも「遊び」って何?
毎日毎日、何して遊ぶの?

ワタシは、最後まで諦めずに、毎日を丁寧に生きたいと思った。

折角生まれてきたんだから、自分のやるべきコトを見つけて、
精一杯ソレを追求しようと思った。

「やりたいこと」を突き詰めたら、「やるべきこと」にたどり着いた。

ただ、それだけ。

ひきこもり、万歳。

「人の振り見て我が振り直せ」

ワタシ、手先は割りと器用な方です。
料理も裁縫も日曜大工も、好き嫌いは別にして、
平均点くらいは簡単に取れると思います。

ただ、人間関係は絶望的に不器用です。

生きた人間が近くにいるだけで脈拍が上がるし、
実際に対話しなければいけないとなると、
緊張しすぎて気が遠くなります。

で、今は快適な「ひきこもり生活」を送っている訳ですが、
それでも時々はヒトに会わなければなりません。
どうしても会話をする必要があったりもします。

苦手だなあ、面倒くさいなあ、できれば避けたいなあ、と
ずっと思っていたのですが、最近ちょっと気が付いたことがあります。

長くひきこもっている間に自分の殻がある程度修復されたのかもしれませんが、
昔よりも冷静にヒトと接することができるようになったみたいです。

ほんのたまーにしかヒトに会ったり話したりする機会はないんですけど、
不安や恐怖よりも好奇心や興味の方が勝ってることすらあるんですよね。

不躾にならない程度に相手を観察して、それとなーく分析する。

いろんなヒトがいますからね。

年齢職業に関わらず、精神的発達段階の違いと申しましょうか。

あーこのヒトは、いろんなコトを考え、調べ、実践しているヒトだなあーとか、
あーこのヒトは、思いっきり洗脳されちゃってるよなーとか。
こんなバブル期の遺物みたいなヒト、まだ存在してたんだー、とか。

ぶっちゃけ、おもしろいです。

長所を発見すれば、自分も見習い、短所が目に付いたら、
自分も同じようなことをしてないか反省して気をつける。

ヒトと交流することで、成長するってこういうことなんだなーって、
「ひきこもり」という段階を経て、やっと分かった気がする。

だってさ、毎日毎日膨大なヒトと関わってた「働き人」の頃は、
とにかく波風立てないように、必死に空気を読んで、
嫌われないように、ひたすらニコニコするだけで、
相手を冷静に観察して分析するヨユーなんてなかったもん。

自分を守るだけで精一杯だった。

「人の振り見て我が振り直す」ためには、
きっと、それなりの地盤が必要なんだと思います。

その基礎がないまま社会に出ちゃった若かりしワタシ。
そりゃもう悲惨な毎日でした。

今思えば、とても素晴らしい「反面教師」になってくれたであろう
ヒトが腐るほどいました。

でも、そのヒトから「何か」を学ぶ為の、「最低限の素養」が
当時のワタシには全くなかったわけですね。

ワタシの場合は、とりあえず「ひきこもる」ことで、
自分の殻を修繕して、地盤を固めてることができたのかもしれない。

相手の感情に流されないで、冷静さを保つとか、
客観的に判断するとか、自分の中にブレナイ芯を持つとか。

と言っても、大量には捌けないし、処理しきれないから、
たっまーにヒトに会うだけの、今の生活を変えるつもりはないけどね。

「ひきこもり」になったら、お金のヨユーはないだろうけれど、
時間のヨユーと心のヨユーは取り戻せるかもよ。

ひきこもり、万歳。

まだ、生きている。

アレから1年。
ブログを始めて2年。
ひきこもりになって○年。

まだ、生きている。

「優雅で快適な、ひきこもりライフを実現するための20の方法。」
自分でアレやコレや試しながら、
ワタシは、まだ、生きている。

テキトーに書いたようで、
実は結構実用的なのかもしれない。

今更ながら思う。あのシリーズって、
資本主義から「さよなら」するための方法論でも
あるんだなーって。

「いっちぬーけたー。」って
言いたいけれど言えないヒトがいて。

「いっちぬーけたー」って
言いたくないのに言わざるを得ないヒトがいて。

「ひきこもりになるための20の方法。」
このシリーズを書いた頃と今、
何か変わったようで、何も変わらないようで。

でも、少なくとも、今、
ワタシは、まだ、生きている。

飢え死にしない程度、食べるモノがあって、
凍え死にしない程度、暖を取れる場所がある。

下らない見栄やプライドとか。
無責任な世間の目とか。
嘘ばっかりのマスコミとか。
骨の髄までしみ込んでる資本主義の洗脳とか。

余計なモノを捨て去って、
ある程度割り切れば、
ただ「生きていく」ことは、
想像するより難しくないのかもしれない。

だって、ワタシは、まだ、生きている。

長く続くわけないと思っていた「ひきこもり生活」。
いつ終っても悔いがないよう精一杯生きようと
覚悟して始めた「ひきこもり生活」。

アレやコレや工夫して。
アレやコレや挑戦して。
アレやコレや考えて。
アレやコレや実践して。

そして、ワタシは、今日も。
まだ、生きている。

あれから一年。
「復興」への道はまだまだ遠い。

多くの命が失われ、
今もまだ、苦しんでいるヒトが大勢いる。

狂った世の中から何とか抜け出そうとしている
ヒトたちの努力が報われる日を心から思う。

合掌。

それぞれの自己防衛。

この世界は、ある「システム」に基づいて機能している。

そして、この世界には大きく分けると2種類の人々が住んでいる。

一つは「システム」の中に取り込まれて生きている人々。

もう一つは「システム」から弾き飛ばされて、その外で生きざるを得ない人々。

前者は後者を否定することで自分のバランスを保とうとする。

自分が依存する「システム」が間違っているかもしれないなんて、
絶対に信じたくないから。

自分がこれまで、散々犠牲を払ってしがみついて来たものが、
無意味だったなんて思いたくないから。

後者は自分自身を肯定し、あるがまま受け入れることでバランスを保とうとする。

社会からも世間からも否定され、自分を認めてあげられるのは自分しかいないから。

もうこれ以上何も失うものはない、という状況に陥って初めて、
本当に大切なモノが見えてきたりするから。

ニンゲン誰しもジブンがカワイイ。

どんなにキレイゴトを重ねても、仕方ない。

「自己防衛」はニンゲンの本能だ。

ただ、ヒトによってやり方が異なるだけ。

自分を守るために他人を否定するのか。
自分を守るために自分を肯定するのか。

どちらかを選ばなければならないとしたら、
ワタシは、後者を選ぶ。

他人を攻撃すれば、自分も同時に傷つくのだと、
どうして気が付かないんだろう?

攻撃するのもされるのも苦手。
根っから非戦闘員のひきこもり、万歳。

人体実験社会。

我々は、長い間ずっと、誰かが書いたシナリオに
踊らされてきたのかもしれない。

311の後、いわゆる「陰謀論」に興味を持つヒトが増えたのは、
自分たちの思考・健康・命が脅かされていると気づいたからではないか。

まるで誰かが「実験」をしているみたいだ。
放射能をばら撒いて、マスコミを操って、不安を煽って。

その最終目的は何だろう?
権力を掌握すること?富を集めること?
人口を削減すること?従順な奴隷を確保すること?

実験の意味も目的も知らされないまま、自分でも気づかないうちに
いろんなデータを提供してしまっているかもしれない。

でも、できるなら「誰か」のモルモットにはなりたくない。

どーせ何らかの「実験」の被験者にならざるを得ないなら、
自分の意思で、自分が納得できる実験に参加したい。

自分が正しいと思える実験の為になら、喜んでデータを提供するし、
人間や動物の命、自然、かけがえのない地球を守るための実験になら、
身体を張って協力したい。

乳酸菌で放射能から身体を守る実験とか。
青汁と玄米で生き延びる実験とか。
肌に何もつけない実験とか。
テレビを見ない実験とか。
SNSには参加しない実験とか。

強制参加の「実験」を放棄して、自分なりの「実験」を始めよう。

とりあえずワタシは、これからも「ひきこもり生活」が
いかに健康で快適であるかを証明するための実験を続けます。

ひきこもり、万歳。

「100匹目の猿」というおとぎ話。

「100匹目の猿」という話は
結構有名なので、知ってるヒトも多いと思う。

実際はこんな現象存在しなくて、単なる作り話らしいけど、
例え話としては秀逸だと思うんだよね。

じわじわ、じわじわと変化していって、
ある一定数に達すると、ぶぅわっと全体に広まる
なんて夢のある話じゃないの。

ここで大事なのは、自分以外の誰かに頑張ってもらって、
クルッと世界がひっくり返った所に便乗する「猿」になるのか、
自分自身が「1~100までの猿」になるのかってこと。

1匹目から20匹目くらいまでは、あまり目立たず、
きっと話題にすらならないはず。

30匹くらいになると、キ○ガイ扱いかな。

40匹になると迫害される可能性もある。

50匹を越えると、周りに気づきをもたらし、
その後一気に「変化する猿」が増えるかもしれない。

70匹くらいになると、それなりの規模のコミュニティができて、
その中でまったり、ぬくぬく暮らせればいいな、と思うようになって、
それ以上仲間を増やす必要性を感じなくなるかもしれない。

80匹になると、特殊で異端な変人集団という烙印を押されて、
隔離されるかもしれない。

90匹を越えると、いよいよヤバくなってきた、と
目覚めさせたくない対抗勢力が最後の悪足掻きを始めて、
徹底抗争になるかもしれない。

最初っからのんびり「変化する猿」をやっているヒトと、
切羽詰って途中から加わったヒトの間には
きっと相当温度差もあるだろう。

みんなで協力するのは、なかなか難しいかもしれない。

でも、ただ待っているだけの「101匹目以降その他大勢」になるよりも
やっぱり「100匹目まで」になる方が楽しいんじゃないかな、と思う。

「おやっ、隣のヤツが何か変わったことやってるぞ、
よし、自分も真似してみよう。」ってだけのことでしょ?

少なくとも、自分のやり方が間違っているとわかっても、
意固地になってそのやり方に固執するような頑固猿でいるよりも、
新しいやり方をとりあえず試してみる、柔軟な猿になる方が、
楽に生きられると思うしさ。

これまでのやり方が通用しなくなってきている今、
新しい生き方、価値観にシフトしなきゃ生き残れない気がするから。

「変化する猿」になろう。

ひきこもり、万歳。

「ひきこもり」と「断捨離」

ワタシ、あんまりモノを買わないヒトです。
持ってるモノも比較的少ないと思います。

でも、物持はいい方です。
なかなか捨てられません。

今使ってなくても将来的に必要になるかもしれないもの。
いざということに何かの代用になりそうなもの。
何らかの形でリサイクルできそうなもの。
スペースが許す限り、保管してます。

何かが壊れて修繕しなくちゃいけない、とか。
何かを買う代わりに自分で作ってしまおう、とか。
そういう時に「アレ置いておけばよかった」と思いたくないから。

何かに取り憑かれたように、何もかも全部捨てて、
後から必要になったらまた全部買い直す。
そんな金銭的余裕はないから。

だいたいね、自分の価値観や生活習慣を変えないまま、
アレコレ捨てたって、意味ないと思うんですよ。

その時はストレス発散でスッキリするかもしれないけれど、
すぐに反動が来て、別のモノを買ったり、外食や旅行で散財したり
しちゃうんじゃないですか。

モノを捨ててできた物理的、精神的「すきま」を別のモノで
埋めないと不安になるような「断捨離」ならしないほうがマシ。

モノへの執着がなくなれば、
わざわざ「断捨離」なんてしなくても
自然とモノは減っていく。

実態のない世間との絆を断ち、
既存の価値観を捨て、
資本主義ベースの社会から離れること。

そんな「断捨離」ならともかく、
闇雲にモノを捨てたって、幸せになれるわけないじゃんね。

ひきこもり、万歳。

持ち物のアップデート。


ワタシ、毎年3月末から4月にかけて、
部屋の模様替えがしたくなるヒトです。

棚を作り直したり、机の位置を動かしたり、
本を入れ替えたり、チョットしたことなんですけど、
何か変えたくなります。

で、この春の模様替えの目玉は、
「自分が持っているモノのリスト」を
頭の中でアップデートすることです。

どこに、何があるか、を覚えていないと、
いざと言う時に役に立たないですから。

何年もタンスの奥にしまいっぱなしなんて、
持っている意味ないでしょ?

必要な時に必要なモノをさっと出せないと、
すでに持っているモノを再び買ってしまうとか
無駄なことしちゃいますしね。

わざわざ紙にメモしなくても、
一年に一度、見て、触って、思い出せば、
だいたい忘れないですよ。

自分の記憶容量を超える程、
モノを持ってないからかもしれないですけど。

定期的に持ち物のアップデートをしていると、
自分に必要なモノと、どう考えても必要ないモノが
自然にわかってきます。

必要最低限で生活する身軽さとか、快適さとかを
実感できるようになると、もう二度と、
モノを増やしたいと思わなくなるもんですよ。

豊かさ≠たくさんのモノ
ひきこもり、万歳。

「今」を生きる。

これまでの人生。

楽しいこともあった。
悲しいこともあった。
嬉しいこともあった。
悔しいこともあった。

遠回りしたコトも、
選択を間違えたコトも、
後悔したコトもあるけれど、
どの瞬間も今の自分に至る大切なプロセス。

だからワタシは、決して過去に戻りたいと思わない。

試験に合格したら・・・。
仕事が見つかったら・・・。
結婚したら・・・。
家を買ったら・・・。
年金をもらえるようになったら・・・。

これから先の人生で、あーしたいな、こーしたいな、
と思っていることが、全くないとは言わない。

将来の希望や、楽しみな計画があることは
別に悪くないけれど「その時」を待つだけの生き方は
もったいない気がする。

だからワタシは、今すぐ未来にワープしたいと思わない。

過去の思い出を必要以上に懐かしんだり、
空想の未来に囚われすぎると、
現実を疎かにしてしまう気がするんだ。

今、精一杯生きている、この瞬間を積み重ねていければそれでいい。

「今を生きる」って、そーゆーことなんじゃないかな。

ひきこもり、万歳。

4月病、5月病。


世間には5月病と呼ばれる症状があるらしい。

ゴールデンウィーク明け頃から、新しい環境に適応できない
新入社員や新入生にみられるウツ病に似た症状のことだ。

年がら年中変化のない「ひきこもり」には無縁の5月病。
ワタシは、むしろ4月の方が憂鬱だ。

街中がお祭り気分の12月も苦手だけど、
入学やら入社やら何となくお祝いモードの4月も苦手。

飲み会やらコンパやら、その場だけ盛り上がるということが
できないタイプだったけれど、いわゆる「浮かれた空気」に
どうしても馴染めないんだよね、ワタシ。

アチコチから聞えてくる「見せかけだけの希望」とか。
表面上だけ「ウキウキ、ワクワク」した感じとか。
もう二度とやってこない「明るい未来」の懐古とか。

心機一転やり直そうと思っても、
漏れてしまった放射能をなかったことにはできないのに。

これまでのように無邪気に夢を膨らませたり、
無限の可能性を信じたりできないのに。

どんなにうまく取り繕っても
「これまでの社会」と「これからの社会」は何もかもが異なる。

目の前に立ちはだかる難問から目を逸らすことを強制されたり、
幻想を押し付けられるのには耐えられない。

それよりは、厳しい現実とまっすぐ向き合うことの方が、
まだマシな気がする。

ということで、ちょっと病んでましたが、
ぼちぼち復活しようと思います。

ひきこもり、万歳。

主語は「自分」

あのヒトは、どうして逃げないんだろう?
あのヒトは、どうしてテレビ見て馬鹿笑いしてられるんだろう?
あのヒトは、どうしてあんなアホ上司の指示に従ってるんだろう?

あのヒトたちが、どうしようと、どう生きようと、
あのヒトたち自身の問題だ。

助けを求めているなら何かできることがあるかもしれない。
アドバイスを求めているなら何か一緒に考えられるかもしれない。

でも、何も求めていない相手にできることは何もない。
本人が自分で気づいて動き出すまで、待つしかない。

他人の行動にヤキモキしている暇があったら、
自分ならどうするか考えて、シミュレーションすればいい。
自分ならどうするか考えて、実際に準備すればいい。

その方がよっぽど健全で建設的だと思う。

自分なら逃げるのか、自分なら戦うのか。
自分ならどうするか。

他人の行動をいくら観察したって、批判したって、
そのヒトを動かすことはできない。

「あのヒト」はどうすべきか、じゃない。
自分ならどうするのか、だ。

他のヒトが何を言おうと、何を考えようと、
何をしようと、何をしなかろうと、どーでもいい。

今の自分にできることをして、
自分が生きたいように生きるだけ。

ひきこもり、万歳。

臨機応変

例えば、ミルクを飲むのか飲まないのか。
例えば、野菜の皮をむくのかむかないのか。
例えば、小魚を丸ごと食べるのか食べないのか。

移行期の今、臨機応変に対応するしかない。

ワタシも昔はイロイロ勉強したんだ。

アーユルベーダではね、「牛乳」は素晴らしい健康食品なんだ。
病人も妊婦さんも、みんなたっぷり飲むように推奨されている。
でもね、3000年前の偉い人はね、きっと人間が、牛にホルモン注射したり、
肉骨粉を与えたりするなんて考えもしなかったんじゃないかな。

ホールフードやら一物全体やらもね、理論はわかる。
共感したいのもやまやまなんだけど、
残留農薬とか放射能汚染とかを考えるとね、
やっぱり野菜や果物の皮は剥いて食べた方がいいと思うんだよね。

甲田療法とかいくつかの断食療法ではね、小魚の摂取を推奨してるんだ。
チリメンジャコとか頭も内臓も骨も全部食べれるようなやつ。
でもね、放射能によって海がコレだけ汚染された今、
魚の骨やら内臓やらは避けるべきだと思うんだ。

他にも海草とか、キノコ類とか、これまで散々、
健康にいいって言われてきたもの、たくさんあるよね。

でも、今、それらが本当にカラダに良い安全な食品なのかどうかは、非常に微妙。

最先端の情報にしろ、何千年もの間実践されてきた英知にしろ、
決定的な「何か」が欠けている気がするのは何故だろう?

今のエライ人は、とかく問題を軽視して、対策を先送りにしがちだし、
昔のエライ人は、現在の壊滅的な状況を予測していなかったかもしれない。

何を信じようと、何を食べようと、個人の自由なんだけれど、
コレまで以上に「自己責任」っていうのが覆いかぶさっていて、
それぞれが自分なりにイロイロな情報を集めて、総合的に考えて、
日々の細々した選択を一つ一つしていかないといけない。

誰が正しいのか、何が正しいのか、ワタシにもわからない。
今のワタシにできるのは、とりあえずピンと来たモノを自分自身で
試してみること。ただ、それだけ。

首尾一貫してなくても、矛盾してても、今は仕方ないんじゃないかな。
「移行期」に大切なのは「臨機応変」に生きることだと思うから。

別にね、ワタシは、長生きしなくてもいいんだけど、
「何か」がおかしい今の状況に対して、
何もしないまま、無抵抗のまま死ぬのは嫌なんだ。

ひきこもり、万歳。


「心を込めて生きる」

ワタシは、料理も掃除も洗濯も「好き」じゃない。
スプラウトの栽培だって別に「好き」なわけじゃない。

耐え難いほど苦痛ってわけでもないけど、
心地よく生活するのに必要だからしてるだけ。

決して寝食も忘れて熱中できるような「趣味」ではない。

でも、好きじゃないからこそ、
「修行」なんだと思えるんじゃないのかな。

苦手だからこそ、せめて丁寧にしたいと思う。
下手だからこそ、工夫しようと思う。

別に上達を目指しているわけじゃない。
エキスパートになんてならなくていい。

磨きたいのは表面的な技術じゃなくて、
まだまだ未熟な自分の内面。

誰かに迷惑をかけることもなく、
誰かのお世話になったりもしないで、
自分の身の回りのことを自分自身でできる、
今の環境がとても有難いと思うだけ。

家事なんて、好きじゃないし、苦手だし、下手だけど、
スプラウトの栽培って本当に面倒くさいと日々思うけれど、
嫌々やってるわけじゃないし、誰かに強制されてるわけでもない。

自分が選んだ生活の中で、自分ができることをする。

当然と言えば当然なんだけれど、その「アタリマエ」が
有難くて、幸せだと思える。

「心を込めて生きる」ってそーゆーことなんじゃないかな。

別に、無敵のヒーローにならなくても、
この世の救世主にならなくても、
歴史に名を残す偉人にならなくても、
今、自分にできることを一生懸命やっていれば十分なんじゃないかと
思うワタシは甘いんだろうか。

毎日を丁寧に生きて、ただ自然に天寿を全うしたいだけ。

ひきこもり、万歳。

プロフィール

KIKI

Author:KIKI
今、必要なのは、情報に流されず、変化を恐れない「強かさ」と「しなやかさ」。シンプル・ミニマム志向で、消費の縮小と健康の維持に取り組む「ひきこもり」のブログ。(コメントは有難く読ませていただいていますが、現在お返事をする余裕がありません。何卒ご了承ください。)

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