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心機一転

遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
ご縁あって、このブログに遊びに来てくださる皆さま、
いつも有難うございます。

まだもう少し、戯言を綴ってまいりたいと思いますので、
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

「ひきこもりを侮るな!」KIKI拝

*********************************************

以下、新年の駄文。

ナンだカンだ言って、このブログも3年目に突入しました。

「目指せ、ひきこもり」カテゴリのアレやコレや試しながら、
ワタシはまだ、生きています。

例年は、「正月だから何?」って思ってたんですけど、
今年は久しぶりに「新年を迎えられてよかった」と思いました。

2012年12月で世界が滅びるって、本気で信じてたわけではないけれど、
「何か」起こるだろうと思っていたのかもしれません。

いや、イロイロ水面下では起こってるんですけどね。
選挙もアレだったし。放射能は相変わらずだし。

頭で考えると、大変な状況だとわかってるんだけど、
それでも「いつも通り」の新年に何となくホッとした自分もいて。

去年はずっと、どこか構えてたし、いつも緊張していたから、
常に眉間にシワが寄ったような感じで、表情も暗かったような気がします。

今年は、肩の力を抜いて、胸を張って、前を向いて、
できるだけ笑顔で生きていきたい。

気を抜きすぎるってことじゃなく、
のー天気に生きるってわけでもなく、
準備すべきことは準備して、
知るべきことは、ちゃんと調べて、
その上で、マイペースに生きたい。

今年もイロイロあるだろうけど、
「不安」に取り込まれて「恐怖」に支配されて生きるのは嫌。

ワタシは、自分の人生を生きるために「ひきこもり」になったんだから。

2013年、心機一転。明るい未来を信じて生きる。
ひきこもり、万歳。
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心機一転 ババシャツ脱ぐぞ。

これまでウン十年生きてきて、いろんなヒトに出会ってきた。
スピ系やら陰謀論やら市民運動やら、イロイロ関わってきた。

でも、本当に「コレ」って思えるものはなかったような気がする。

2012年がワタシにとってどーゆー年だったかと言うと、
やっと「コレ」って思えるものを見つけた年。

それは、知る人ぞ知る「シドニーおちんさん」のパラレルワールドの話。

まだ十分に理解しているわけじゃないんだけれど、
それでも、今までの人生で多分一番しっくりくる感じなんだな。

ワタシは、ババシャツを脱ぐってコトと、波動を上げるってことを
ほとんどイコールだと解釈しているんだけれど、
そう考えると、これまでモヤモヤしていたイロイロなコトが
ストンと腑に落ちる。

だから、今年の目標は、ババシャツ脱いで、波動を上げて、
より良い未来を選択すること。

現在おちんさんのブログは、ブロ友かパスワードを知っているヒトしか
閲覧することができないので、そのうち抜粋とか要約って形で、
ちょこっとエッセンスを紹介できればいいな、と思っています。

まあ、もう少し記事を読み込んで、実践を積みたいので、
だいぶ先になってしまうかもしれませんが。

「出会い」は一見「偶然」のようで、実は「必然」。

パラレルワールドなんて話、これまでは見かけても
アンテナに引っかかりもせず、スルーしてきたのに、
去年ワタシがおちんさんのブログで改めて出会って、
ずっぽりハマッたのには、きっと意味があるはず。

「機が熟す」って言葉があるけれど、
きっと、ワタシにとっては今やっと
「ババシャツを脱ぐことに挑戦する時」が
来たんじゃないかなと思うんだ。

自分の直感を信じて、流れに逆らわず生きる。

ひきこもり、万歳。

あれから18年。

今日で阪神大震災から18年が過ぎた。

長かったような、短かったような。
イロイロあったと言えば、あったし、
当たり前に生きてきたと言えば、言えないこともない。

あれだけ大きな犠牲を払い、18年という時を経ても、
結局何も変わっていないような気がするのはワタシだけだろうか。

ただショックを受けて、思考を停止して、
悲劇のヒロインぶるだけで、何も学ぼうとしなかった。

ただひたすら、震災前の生活に戻る努力をし、
大変だったけれど、貴重でもあった経験を忘れる努力をし、
まるで何もなかったように生きてきた。

今更ながら思う。
もっと別の努力をするべきじゃなかっただろうか、と、
あの震災から学べることがもっとあったのではないだろうか、と。

東日本大震災の18年後も、似たようなものになるのだろうか。
同じことを、また、繰り返すのだろうか。

阪神大震災の経験は十分に生かすことができなかった。
東日本大震災の経験は、どうだろう?

311をきっかけに、何か変わるのか、何も変わらないのか。
戻るのか、進むのか、立ち止まるのか。

一人ひとりが気づいて、考えて、自分なりの選択をして、
行動に移すことでしか、未来は変わらない。

ちょっとでもマシな未来を選択するのか、
さらに悲惨な未来を選択するのか。

18年前に戻ってやり直すことができないなら、
今、「あの時できなかったこと」をすればいい。

東日本大震災の18年後に、
阪神大震災の18年後と同じ後悔をしないように。

毎年この日は、ちょっと特別。

2013年1月17日 

合掌

石の上にも・・・。

ブログを始めてこの1月で3年になる。
毎年驚いているけど、今年も自分でビックリしている。
「まだ続けているなんて・・・」

自慢じゃないけれど、ワタシは「持久力ゼロ」のヒトだ。
短期集中とか、一発逆転の瞬発力系は割と得意だけれど、
長く地道に努力を積み重ねる系は苦手なので、大抵「三日坊主」。

好奇心だけは旺盛で、アレコレいろいろ興味を持つのに、
飽きっぽくて続かないから、結局「器用貧乏」で終わる。

文章を書くコトも、嫌いじゃないけれど、面倒くさいから、
ブログなんて始めたって、すぐ自然消滅するだろうと思っていた。

なのに、3年。

超不定期更新の閑古鳥ブログだけれど、それでも3年。

「もういいか・・・」って気持ちと「もうちょっと頑張ろう」って
気持ちの間で揺れながら思い出すのは、例によって「おちんさん」の言葉。

「石の上にも10年。」
3年じゃなくて10年。10年続けると、なんかいい事あるらしい。
一仕事こなせてるっていうか、夢が叶ってるって言うか、
ちょーだいって手を出さなくてもご褒美がやってくるらしい。

別にご褒美目当てって訳じゃないけれど、知りたいなとは思う。
10年続けた先に待っているモノが何なのか。

単なる願掛けかもしれない。こんなしょーもないブログでも、
10年続ければ、何か変えられるかもしれないという僅かな希望。

そんなこんなであと7年。

今はまだ辛うじて生き延びているけれど、
いつまで続けられるかわからない。
ブログどころじゃなくなる可能性も大 。

でも、目標は高くということで。
頑張りすぎず、諦めず、マイペースに
戯言を綴って参りましょう。

目指せ、「石の上にも10年」
ひきこもり、万歳。

程度の問題。

誰の目にも明らかなウソがまかり通り、
どっから見ても偽者が堂々と道の真ん中を歩いていたりする。
どー考えても狂ってるとしか思えない世の中。

誰を信じたらいいのか、
どこに向かっていけばいいのか、
全くわからない今日この頃。

本当に安全なものだけを口にしたいけれど、
現実問題として、無理。

豆乳ヨーグルトと生玄米だけで生きる仙人にはまだなれないし、
食料品を全部オーガニックにするお金の余裕もない。

だいたい、今の地球上に、放射能も農薬も土や空気や水の汚染も、
なーんにも気にしなくていい、100%安全な食べ物って存在するんだろうか?

もはや「程度の問題」でしかないような気がする。

何を避けるのか、どこまで許容するのか、
自分なりに調べて、自分なりに選ぶしかない。

ただし「選択の自由」が残っているのかどうかは甚だ疑問。

神経質になりすぎるのはよくない。そうかと言って、
もう何を食べても一緒と、投げやりになるのもよくない。

できる範囲で無理はしない。
でも、諦めない。

100%を求めず、臨機応変に生きる。

多分、他に道はない。

ひきこもり、万歳。

「知る」理由

ワタシはテレビを持ってないし、新聞も取ってないし、
外に出ないから、週刊誌の見出しとかを見かけることもない。
だから情報源といえば、ネットオンリーなんだけれど、
どー考えても、何か起こってるよね。

ローマ法王が辞任を表明して、北朝鮮が核実験して、
ロシアに隕石が落ちてって。
これを単なる「偶然」と片付けちゃっていいの?

この世界で起こっていること。
すべての情報が一般人に公開されてるわけがない。

我々の知らないところで着々と
「何か」が動いていると考えた方が妥当。

でも、真実を確かめるなんて不可能で、
そんなことに貴重な時間とお金を費やすくらいなら、
まるで何もなかったかのように、
生きるのが賢明なんじゃないかという気もする。

余計なコトに気を取られて、
面倒なことに巻き込まれて、
自分にはどーしよーもないことに悩んで、人生を無駄にするよりも、
現実逃避して、臭い物には蓋をして、
好きな事だけして生きているヒトたちの方が
実は正解なんじゃないだろうかとすら思う。

「知ること」は大事だと思ってきた。
「情報収集」は生きるために必要不可欠だと思ってきた。

でも知った所で何もできないのなら、
一体何の意味があるのだろう。

自分の無力さに気づけただけでもよかったんじゃない、と
自嘲気味に呟いてたんだけどさ、風邪でちょっと弱気に
なってただけなのよね。

だって、いろいろ「知った」からこそ今の生活があるんだもん。

超質素な節約生活を送っている理由。
面倒くさいのにスプラウトを育てている理由。
玄米菜食して、少食生活して、仙人を目指している理由。

今、自分が生きている社会がどれほど狂っているのか。
今、世界が進んでる方向がどれほど破滅的か。

多少なりとも「知っている」から、
なんとかそこから抜け出そうとしてるわけで、
できるだけ被害を最小限に食い止めようと足掻いてるわけ。

だから「知らない方がよかった」とは思わない。

信じ難いほど「お先真っ暗な事実」を突きつけられて、
ありえないほど落ち込んで、ショックで寝込んでも、
その衝撃が大きいほど、自分の生活を変えるための
原動力になってくれる気がする。

長年の習慣を変えるのって、エネルギーが要るからね。
考え方を変えて、行動を変えて、生き方を変える。
相当モチベーションを高く保ってないと無理ですよ。

テレビ見るの、やめましょう。
朝食食べるの、やめましょう。
コンビニで買い物するの、やめましょう。って言われて、
何の抵抗もなく、さらっとやめられるわけないし。

人間、本来怠け者だから。
ついつい、楽な方に流されちゃいそうになって当然。

そんな時でも、厳しい「現実」を知れば、不便だけれども人間らしい、
シンプルミニマムな極貧生活が、有難く思えてくる。

「知る」ということは、一種のショック療法なのかもしれない。

弱気になって、凹んで、迷って、這い上がって、
それでもワタシは、小さな努力を積み重ねる。
毎日の生活の中で。

ひきこもり、万歳。

あれから2年。

前に「できる範囲で無理はせず、臨機応変に生きる」って
書いたことあるけれど、そう言えるのは、
ワタシがすでに「ある程度」の年齢で
しかも、子どもがいないから、かもしれない。

もしも、自分に幼い子どもがいたら、きっともっと必死で生き残る道を
模索しているだろう。

そう考えると、「守るべきもの」がいないワタシは、
「親」であるヒトたちよりも、考え方が甘いんじゃないかという気もする。

それにしても、汚染地域の子どもたちを避難させないとか、
給食でベクれた食品を出すとか。
これを「殺人」と呼ばずに何と呼ぶ?

「子ども」に罪はない。
それなのに、放射能が子どもに与える影響は測り知れない。

「子ども」の未来を奪うこと。
それ以上に罪深いことがあるだろうか。

ロスジェネ世代のワタシには、自分たちよりも上の世代に、
バブルの負の遺産を押し付けられたという一種の「被害者意識」がある。

不景気や就職難に関しては、どちらかと言えば、被害者。
だけど、
今の放射能汚染に関しては、どちらかと言えば、加害者。

地震大国に原発が乱立するのも、プルトニウムが垂れ流しになっているのも、
東電や政府の暴挙も、何も、止められなかった。

賛否両論あるだろうし、謝って済むことじゃないんだけれど、
今の子どもたちに何て説明すればいいのか、言葉が見つからない。

これから、放射能の影響が明確に現れてきた時に、
どんな顔をして彼らと向き合えばいいんだろう。

ロスジェネ世代の我々は、定職を奪われ、未来を描けなかったけれど、
プルトニウム世代の子どもたちは、健康を奪われ、未来を描けない。

どっちが不幸かなんて、比べるまでもない。

人数が多いのも、お金を持っているのも、声が大きいのも、ジジババ世代。
何も持たないただの「ひきこもり」が一人で喚き散らしたって、
社会は何も変わらない。

それでも我々が自分たちよりも若い世代のためにやるべきこと。

もともと少ない荷物をさらに減らして、シンプル・ミニマムを追求し、
この狂った社会から抜け出すための道筋をつけること。

後に続くべき「良い見本」にはなれないかもしれないかもしれないけれど、
例え、結果的に「避けるべき悪い見本」になったって、
それはそれで意味があるはず。

目一杯、実験台になってやろうじゃないの。

命を懸ける。身体を張って生きる。無駄死にしない。
ってそーゆーことなのかもしれない。

無邪気に遊ぶフクシマの子どもたちの笑顔を見て、
心が痛まないヒトなどいるのだろうか。

あれから2年。

いろんな意味で、合掌。

心機一転・週一断食

「断食」っていうよりは、「少食の日」って感じなんですけどね。
毎週火曜日は断食の日って決めたんです。

なんで火曜日かって?うーん。何となく。
週末食べ過ぎても、月曜菜食したら火曜日に断食できるから?

断食の前後、月曜と水曜は基本的に菜食。
火曜日のメニューは
朝食 お白湯と寒天
昼食 豆乳ヨーグルトと寒天
夕食 玄米クリームと寒天

寒天は、濃縮還元100%のジュース500mlと水500mlに粉末寒天大さじ1
溶かして、3つの容器に分けて固めたもの。

水だけで作って黒蜜をかけたり、酢醤油で食べたり、
蜂蜜レモンにしてみたり、イロイロ挑戦してみたけれど、
ジュースと水のフルーツゼリーっぽい寒天が今の所、一番食べやすい。

ちなみに、ぶどうジュースがお気に入り。
林檎ジュースだとちょっと味が薄く感じるかも。

「断食」というにはオコガマシイほど食べてるんですけどね、
この週一「なんちゃって」断食を始めてそろそろ1年。
なんとなく続いてる。

まず、野菜を切ったり料理しなくていいのがラク。
その日食べるモノが決まってると、イロイロ考えなくて済むのがラク。
常温でストックできるから、まとめ買いできるのもラク。

断食すると、内臓が休息できるとか、
デトックスできるとか、言われてるし、
実際カラダの調子がいいような気がしないでもない。

でも、週一のなんちゃって断食が続いている最大の理由は、
ワタシの場合「ラクだから」だ。

アレも食べなきゃいけない、コレも摂取しなきゃいけない、
アレもしなきゃいけない、コレも考えなきゃいけない、
アレもコレもソレもゼーンブ
世の中やらなきゃいけないことだらけ。

本当に、ラクなんですよ。断食の日。
お湯沸かして、寒天ゼリー用意して、
豆乳ヨーグルト食べて、玄米クリーム作って。

断食すると食費やガス代や電力も節約できるけれど、
それよりなにより「食」に関する労力を節約できるのが「ラク」。

ひきこもりの趣味は断食。
だって「ラク」だから。

「へるしー」というより「ぐーたら」。

ひきこもり、万歳。

最近「買わない」シリーズばっかり書いている理由。

最近「買わない」「要らない」シリーズ、およびその「その後」
ばっかり書いてるので、自分で何でだろー?と考えてみた。

答え「だって他にどーすればいいか、わからないから。」

7月になって、2013年も半分終わって、
このまま中途半端な状態でズルズル保っていくのか、
何かドカンとヤバいことが起きるのかワタシにはわからない。

でも、何も変わっていないようで、やっぱり何かが違う。
空気が違う。匂いが違う。色が違う。雰囲気が違う。
どーにもこーにも、暗くて、重くて、どんよりした感じ。

ぬぼーっと能天気に、流れに身を任せる気になれない。
でも、具体的に何をすればいいのかわからない。

なるべく食べない。
なるべく買わない。
なるべく持たない。
なるべく消費しない。
なるべくこの社会と関わらない。

それ以外に、何をすればいいのか、わからない。

なるべく自然を破壊せずに、
なるべく環境を汚染せずに、
なるべく権力者の言いなりにならずに、
なるべく金持ちを儲けさせずに、
なるべく弱い立場のヒトの労働力を搾取せずに、
ただ、できるだけ自然にシンプルに、自分の良心に従って
生きようと思ったら、「買う」という行為は、
決して解決策になり得ないと思う。

資本主義を成り立たせているのが、
「大量生産」「大量消費」「大量廃棄」のサイクルであるなら、
その悪循環を止めるしかない。
敷かれたレールから外れるしかない。
既存のシステムから抜け出すしかない。

だからワタシは、相変わらず駄文を書き綴っているんだろう。
どんなにちっぽけなことだろうと。
どれほどしょーもないことだろうと。
何もしないよりはマシだと思うから。

自分の向かっている先に何があるのかわからなくても、
何もしないでただ流されて死んでいくのは嫌だから。

ワタシはへたれの「ひきこもり」だけれど、
何もしないで隠れて文句ばっかり言っているより、
自分ひとりでも行動した方が精神的にラクになれるって知っている。

自分の考えや感情にフタをして、周りに合わせて生きることが
積もり積もって、どれだけ負担になるか知っている。

だから、自分ができることを、出来る範囲でするだけ。
自分が正しいと思う道を進むだけ。
他人にどう思われようと、何を言われようと、別に構わない。

「この社会は異常だ。」
そこで思考も行動も停止してしまって終わる人生なんて、勿体無い。

結局、ワタシがこのブログを未だに続けている理由も同じ。
他に何をすればいいのかわからないから。
何もしないよりはマシだと信じたいから。

要するに、諦めの悪い「ひきこもり」の悪足掻きってコトですね。

開き直った負け犬の、しょぼい遠吠え?上等じゃん。

ひきこもり、万歳。

スイカの話

夏はスイカ。

丸ごと買って、一口大に切り分けて
タッパに入れて冷蔵庫に保存。

気がついたら一日中つまんでる。

ほんのり甘くてジューシーで、大好き。

三角に切ってかぶりつくよりも、
一口大に切り分けてある方が食べやすい。

夏の水分補給はスイカだ。

朝つまんで、昼つまんで、夜つまんで。

大家族じゃなくたって、丸ごと買っちゃえ。
飽きてきたら冷凍しちゃえばいいんだし。

食事の前につまめば消化にいいし、
食べる量も減る気がする。

わざわざダイエットとかデトックスとかしなくても、
自然にカラダも軽くなる。

夏の冷蔵庫には常にスイカ。

持ち帰るのに重いのだけが玉にキズ。

5キロ越えるとちょっと躊躇する。
筋トレでもしよーかな。スイカ運ぶ為にさ。

ひきこもり、万歳。

真夏の夜の悪夢

夢を見た。

億単位の宝くじに当選する夢。

貯金を切り崩しながら細々と質素な「ひきこもり」生活を
送るワタシは、見たこともない数のゼロが並んでいる通帳を
手にボーゼンとしてる。

そして、物欲もなければ贅沢にも興味がないワタシは、
このお金をなんとか世の為、人の為に使わなければと、
孤児院だのシェルターだのフリースクールだの診療所だの、
NPOやNGOを手当たり次第に調べて、お金を寄付するにふさわしい先を
見つけようと奔走する。

でも、あまりにも候補がありすぎて、へとへとになった頃、
どこかから話が漏れたのか、知らないヒトがやってきて、
今の学校では絶対に教えない歴史や生きるための知恵を授ける学校を作ろう、
とか、製薬会社に支配されない、本物の医療ができる病院を建てようとか、
話を持ちかけてくる。

その為には財団を立ち上げるのが一番だから任せて欲しいって言われて、
お馬鹿なワタシは騙される。後はもうお決まりのパターン。
お金だけ持ち逃げされて、さよーなら。

元通りのシンプルミニマムな「ひきこもり」生活に戻ったワタシは、
どこかほっとしている。騙されて大金を失ったのに。

大金があれば、それだけ大きな社会貢献もできるんだろうけど、
その分、仕事も増えるし責任も重い。面倒くさがりで小心者のワタシは、
他人様に羨ましがられるような大金は、もう二度と欲しくないなーと、
思いながら寝袋で眠る。

そんな、夢。

雨風を凌げる屋根と、凍えないための衣服と、
飢えない程度の食べ物があれば十分じゃんね、とゆーのは、
ワタシの本音なのか強がりなのか、自分でもよくわからない。

けど、宝くじが当たった夢は、本気で悪夢だった。


ひきこもり、万歳。

蝶と青虫

ベランダ菜園を始めるまで、蝶って別に嫌いではなかったです。
ひらひらと舞っている様は優雅だし、アゲハ蝶とか綺麗だし。

でも今は、天敵です。

モンシロ蝶なんかが、ウチのプランターの周りを飛んでると、
思わず射殺したくなるくらいです。

だってワタシの大事なラディッシュに卵を産みつけるんですもの。

夏の貴重な菜っ葉であるラディッシュの葉。
青虫に食われまくって何度全滅したことか。

ちょっとくらいなら分けてあげてもいいけど、
せめて半分は残しておいてよ。ってお願いしても通じないし。

どこへでも飛んでいける羽があるくせに。
この広―い世界好きな所に行けるくせに。
なんでわざわざウチのくそ狭いベランダのプランターに遊びに来るのか。

丹精込めて育てた野菜を虫に食われると、
本当に本気でショックです。

別にわかりたくなかったけれど、
殺虫剤を使いたくなる農家の気持ちが理解できてしまう。

ワタシがベランダで作ってるラディッシュなんて、
ほんのプランター数個だし、完全個人消費用でお遊び感覚に近いけれど、
これがプロの農家だったら・・・と考えると、
たかが虫、が、死活問題なのだということに気が付く。

昆虫さんと共存できれば理想だけれど、そう簡単にはいかないから。

わざわざ数個のプランターの為に、来年は簡易ネットを設置しようかと
思うくらい蝶がウザイ今日この頃。

今回の収穫も、予想より食べられる葉っぱが少なかったので、
妙にフルーティーになってしまったスムージーを飲みながら、つくづく思う。
自然と人間の共存は難しい。

ひきこもり、万歳。

囚人服

この前、どーしても欠席できない用事があって、
久しぶりに「フツー」の格好をした。

ジャケットは窮屈だし、タイトスカートは動きにくいし、
ストッキングは痒くなるし、パンプスは蒸れる。

ただそれらを身に付けているというだけで、拷問のようだった。

そう言えば、現在は全く着る機会のない、働き人だった頃に着ていた服も、
今思えば「囚人服」のようなものだった。

当時は「戦闘服」だと思って毎日気合入れてたのに。

立派なスーツ着て、きっちりメークして、
相手から品定めされるためだけにあるようなブランドを身に付けて。

TPOに合った格好、相手から認められる服装こそが、
ビジネスという戦場で生き延びるための「戦闘服」だと本気で信じていた。

でも、いつの間にか気づいちゃったんだよね。
勝つ確率が0,000001%もない試合を「戦い」とは呼ばない。

初めから負けが決まっているならリングに上がるだけ損。
戦っているフリをしている時間が勿体無い。

冠婚葬祭みたいに時々ならまだ許せても、
働く為に毎日毎日不快な服装をせざるを得ないヒトたち。
それも数時間じゃなくて、ほぼ丸一日着ているヒトたち。

それだけで、すごいなーと思う。

毎日着心地のいい服を自分で好きなように選べる。

ただそれだけのことがこの上なく幸せに思えるなんて、
一体どれほどこの世の中は不自由なのだろうか。

何はなくとも、とりあえず自由。
ひきこもり、万歳。

プレゼント

ワタシは基本的にプレゼントが苦手です。

贈るのも苦手だけれど、もらうのは、さらに苦手。

欲しくもないモノをもらった時、喜んで見せるという芸当ができないから。

「うっそー、うれしー、ずっと欲しかったのー、どーしてわかったのー
すっごい幸せー、ホントありがとー」って、
その場では大げさなくらい喜んでたくせに、相手が帰った途端、
「何コレ、趣味悪すぎ」ってそのままゴミ箱に捨てたオンナを知っている。

彼女ほど極端な演技をしないまでも、何かモノを贈られたら、
感謝の気持ちを示すのが礼儀ってものなのだろう。

とりあえず笑顔で「有難うございます、すごく嬉しいです」って
言えるくらいのオトナのスキルは身に付けないとなあ。
ワタシもイイトシだし。

食べないモノ、持たないモノ、興味のないモノ。
捨てるには忍びないけれど、まず間違いなく要らないモノを前に、
一体どーしろっちゅーねん。とフリーズしてちゃいけない。

今時分、一番反応に困るのは、買って復興応援の東北関係のブツ。

贈る方に悪気はないのかもしれないけれど、正直、持ち帰りたくない。
でも、そんなこと口にしたら非常識で冷たいヒトってレッテルを貼られてしまう。

贈り物なんて習慣は、本当に親しい者同士の間だけにできないものなんだろうか。

でなければ、キャッシュか、ギフト券の方がよっぽど有難いと思うけど、
世の中そーゆーわけにはいかないらしい。

人付き合いとは、かくも面倒くさいもの。

どうせプレゼントするなら、相手が本当に欲しいと思っているモノを贈りたい。
お金と時間を使って、プレゼントを贈ってくれるなら、
演技ではなく、心から喜べるモノをもらいたい。

ただそれだけなんだけど。

「お気持ちだけで結構です」って要らない贈り物を突き返せたら、
どれほどラクだろうと考えてしまうワタシは、どこか歪んでいるのかもしれない。

外に出る度に、自分が欠陥品であることを思い知らされて落ち込む。

やっぱり部屋で大人しくしているのが一番。
ひきこもり、万歳。

何でもない日

別に何も特別な日じゃないんだけど。

目が覚めて、自分がまだ生きていることが嬉しかった。
夜が明けて、太陽が輝いていることが嬉しかった。

いつも通り身体が動くこと。
お腹が空いてご飯を食べられること。
夜ぐっすり眠れること。

そんな毎日の当たり前のことが、
涙が出そうなくらい幸せだと感じることがある。

今も放射能のリスクに曝され続けている人たちのコトを思う時。
いつ飛んでくるかわからないミサイルに怯えている人たちのことを思う時。

何でもないことが、申し訳ないくらい喜ばしくて、
何でもないことが、とてつもなく贅沢に思えて、
泣きたいんだか、笑いたいんだか、わからなくなる。

そんな何でもない日を積み重ねて、今日もワタシは生きている。

ひきこもり、万歳。

7年後

7年後のことを考えてみる。

7年後の自分。
7年後の日本。
7年後の地球。

7年後のことを想像してみる。

どう頑張っても、今よりマシな未来をイメージできない。
「今」の延長線上に「7年後」があるはずなんだけれど。
あまりにも、不安要素が多すぎて。

7年後。

別に自分は、玉の輿に乗れてなくてもいいし、
年収アップしてなくてもいいし、
マイホームを手に入れられてなくてもいい。

でも、願わくば、子どもたちがちゃんと疎開できていて、
すべての被災者が生活を立て直すことができていて、
これ以上環境を放射能で汚染しないよう
適切な処置がなされていて欲しい。

「健康で生きていること」

ただ、それだけのことが、あり得ないほど貴重なものに
なっていないことを切に願う。

7年の間に、どれだけのことができるかわからない。
7年の間に、何が起こるかわからない。

でも、結局、7年後も今も、やるべきなのは、
自分と大切な人の健康を守ること。
それだけなのかもしれない。

ひきこもり、万歳。

世界のメディアと日本のマスゴミ

日本人って「風刺」に拒否反応を示すヒトが
多いんだろうか?

甘く、優しく、毒にも薬にもならないような
耳障りのいいことだけを言ってくれるのが
メディアだと思っているんだろうか?

よっぽど洗脳されているの?

メディアって、権力体制を分析したり、
批判したり、暴走しないよう見張ったり、
陰謀を暴いたりするのが役割なんじゃないの?

言っていいことと、悪いこと。
していいことと、いけないこと。
許されることと、許されないこと。

そんな簡単なこともわからなくなってるの?

「怒りを向けるべきは、危機管理能力のない
日本政府なんじゃないか」って
至極真っ当な指摘だと納得できるんですけど、
違うんですか ?

震災後2年半もたっても放射能モクモクで、
汚染水がダラダラ垂れ流しなのは、
外国のメディアのせいですか?

疎開もさせず、補償もせず、フクシマのヒトたちを
精神的、肉体的に傷つけ、追い詰めているのは、
海外のメディアですか?

なんかズレていませんか?

茶化されるような原因を作っている方は、
悪くないんですか?

放射能の危険性を思い出させることは、
公の場で大嘘を吐くことより、悪い事ですか?

権力側に寝返って、なーなーになって、
一緒に甘い汁を吸っている日本のメディアを
どうして信用できるの?

民衆の代表として、不安や恐怖や危険性を
喚起してくれているのに、それを民衆が叩くって、
一体どういう図式なのか理解できない。

「冗談じゃない!いい加減にしろ!」なのは、
他所の国の風刺新聞じゃなくて、我が国の嘘つき政府だ。

誰が味方で、誰が敵か。

少なくとも日本のメディアは庶民の味方じゃないでしょう。
彼らはただ単に権力者の提灯持ちにすぎないんだから。

給料をちょっと調べれば一発でわかる。
日本のメディアは筋金入りの特権階級。

見当違いの相手に怒りの矛先を向けるほど、
無駄なことはない。

エネルギーは有効に使おう。

ひきこもり、万歳。

改めて脱「3S」

誰と誰が結婚しようと、
誰と誰が離婚しようと、
誰と誰が不倫しようと、
どーでもいいです。
わざわざメディアで流さないでください。

なんでこんなにしょーもないことばっかりが
ニュースになっているんだろう?

オリンピックにしたってさ、
馬鹿みたいにはしゃいで喜んでるヒトたちの
コメントばっかり流した所で、ますます
冷めていくばかりなんですけど。

っていうか、スポーツなんて、
個人がそれぞれ趣味の範囲で楽しんでりゃいいじゃん?
国を代表して戦うことがそんなに大事?

勝ちゃーいいってもんでもないだろうに。
スポーツの祭典と愛国心がどうつながるのか
全く意味不明。

それに、実際に身体を動かす運動と違って、
スポーツ観戦って、ぶっちゃけ不健康じゃない?

見てるだけ、応援しているだけで、
気分が高揚するのって、つまり、
テレビとか漫画とかゲームとかと同じよね?

一体何なの?ガス抜き?スケープゴート?すり替え?

なんか、また、誤魔化されているんじゃないの?

いわゆる愚民化政策っていうんだっけ?
「3S」スポーツ・セックス・スクリーン。

やっぱりあんまり関わらない方がいいんだろうね。
本当にバカになりそうな気がするし。

とりあえず、テレビも映画もスマホもパソコンも、
ほどほどにしときましょー。

ちなみにワタシ、スポーツは部屋で時々体操するだけ。
セックスは、もともと面倒くさくて興味ない。
テレビは見ない、スマホ持ってない、映画行かない。

あとは、パソコンの画面に向かう時間を少なくすれば完璧。

なんて健全な生活なのかしら。

ひきこもり、万歳。

最近の丸ごと豆乳ヨーグルト。

ひきこもりの丸ごと豆乳ヨーグルト。
ちょっと発芽させた大豆を圧力鍋で煮て、
スティックミキサーでガーして後、
ミルサーでガーした玄米粉を混ぜて、
容器に移してほったらかす。

気温によって前後するけど、
2日くらいで完成。
ヨーグルトっぽくなったら冷蔵庫で保存。

最近はお昼に食べることが多いので、
そのままだとちょっと寂しい。

オートミールやシリアルを入れたり、
小豆の炊いたのを入れたり、
りんごの煮たのを入れたり、
ヒマワリの種とか干しブドウを入れたり、
なんやかんや加えてボリュームを出して食べてる。

黒糖か蜂蜜で甘みを出すことが多いんだけど、
この前何となく思いついて、
味噌もちょっぴり入れてみた。

甘じょっぱさがなんとも言えずクセになる美味しさ。

塩スイーツ(ハート)みたいなモンが
一時流行ってたけどさ、
甘じょっぱいおやつなんて、
日本には昔っからあるじゃんね?

砂糖醤油の磯部巻きとか、煎餅とか、五平餅とか。
五平餅の味噌と胡桃と砂糖と混ぜたタレ、
あれ、スゴイ好き。

折角ウチには、美味しい手前味噌があるんだもの。
味噌をおやつにもっと活用しよう、と決めたのでした。

しばらくは、豆乳ヨーグルトに味噌を入れて、
甘じょっぱいのを楽しもう。

っていうか、考えてみるまでもなく、
大豆から作った豆乳と、大豆から作った味噌が
合わないわけがない。

ついでに手作りきなこもかけて、
トリプル大豆にしちゃおうかな。

ひきこもり、万歳。

ひきこもりの「豊かさ」考。

「豊かさ」ってイロイロあると思うんだ。

経済的豊かさ。
精神的豊かさ。
時間的豊かさ。
人間的豊かさ。

ワタシ、昔は、経済的に豊かになれば、
精神的豊かさと時間的豊かさも得られて、
人間的豊かさを手に入れられると思ってたんだ。

でも、違ったみたい。

経済的豊かさを求めれば求めるほど、
精神的余裕を失い、時間のゆとりをなくし、
どんどんツマラナイ人間になっていった。

経済的豊かさっていうのは、
精神的豊かさを時間的豊かさを犠牲にしないと
手に入らないモノなんだろうか?

精神的豊かさと時間的豊かさを維持できるほど、
経済的豊かさを持っているヒトは、ほんのごく一部。

しかも、そのヒトたちが、人間的に豊かかどうか、
本当のトコロどーなのか、よくわからない。
でも、あんまり幸せそうに見えないことも多い。

ワタシは、経済的豊かさを追い求めるのをやめて、
「ひきこもり」になったわけだけど、
その結果、精神的豊かさと時間的豊かさが付いて来たんだよね。

不思議だなとつくづく思う。

ワタシは「ひきこもり」で、人間的にまだまだ未熟だけれど、
とりあえず幸せなのは、今の生活が、精神的・時間的に
それなりに豊かだからなんだろう。

経済的には今より豊かだったけれど、
精神的・時間的には全っ然豊かじゃなかった「働き人」だった頃の生活。

経済的には全っ然豊かじゃないけれど、
精神的・時間的に豊かな今の「ひきこもり」生活。

どっちが幸せかなんて、ホント比べるまでもない。

ひきこもり、万歳。

リズムのある自由な「ひきこもり」生活

「ひきこもり」の生活は基本的に自由だ。
好きな時間に起きて、好きな時間に寝て
好きな時間に食べて、好きな事をして生きている。

あまりにも自由なので、
最初は戸惑うかもしれない。
不安になるかもしれない。
必要以上に怠惰な生活を送りたくなるかもしれない。

でも、ある程度慣れてくると、
自然にリズムが生まれてくる。
自分で自分の生活を管理できるるようになってくる。

親や世間や仕事に縛られなくても、
自分でリズムを作ればいいだけのこと。

朝起きて、満員電車に揺られて、
企業の利益を上げるために必死で働いて、
サービス残業なんかもしちゃったりして、
コンビニ弁当食べて、虚しいバラエティ見て寝る。

自炊する時間も、
部屋を片付ける時間も、
モノを考える時間もなく、
ひたすら社会の歯車として働くだけの一生。

そんな囚人みたいな生活を、
リズムのある健全な暮らしと呼ぶならば、
ワタシは自由な「ひきこもり」のままでいい。

自分でリズムを作るより、
誰かが作ったリズムに身を任せる方がラクかもしれない。

でも、誰かが作ったリズムが、
自分にとって心地のいいものだとは限らない。

だから、自分のリズムは自分で決める。

ひきこもり、万歳。

健康で健全な「ひきこもり」生活

「ひきこもり」は不健康で不健全だと
一体誰が決めたんだろう?

「ひきこもり」のワタシよりも
不健康で不健全な生活を送らざるを得ない「働き人」
きっと大勢いるだろうに。

少なくともワタシが「働き人」だった頃、
今より睡眠時間は足りてなかったし、
今より食生活は乱れていたし、
今より部屋は散らかっていた。

「ひきこもり」のくせに健康で健全な生活を
送っているワタシは「働き人」のみなさんに
申し訳ないなと思うことはあっても、
自分の良心に反した生き方をしているとは思わない。

人を欺こうが傷つけようが平気で、
どんな卑怯な手を使ってでもお金を稼ぐことが
健康で健全な生き方だとは思わない。

お金を稼いでいなくたって、健康で健全な生き方はできるはず。

健康で健全な「働き人」もいれば、
健康で健全な「ひきこもり」もいる。

不健康で不健全な「働き人」もいれば、
不健康で不健全な「ひきこもり」もいる。

ただそれだけのことじゃないの?

健康で健全な生活を送るのに、
「ひきこもり」かどうかなんて、
本当は関係ないのかもしれない。

ひきこもり、万歳。

ココロを病まない「ひきこもり」

「ひきこもり」になることで、ココロを病むヒトがいるらしい。

きっとそのヒトは、フツーの生活に未練がありすぎるんだと思う。

だから、自分が実際に置かれている状況と、
なりたい自分との乖離に苦しむことになるんだろう。

でもワタシは、とっくの昔にそんなレベル超えちゃった
気がするんだよね。

心から今の生活に満足してる。

足りないモノがあったとしても、
それを得るために、奴隷生活に戻ろうとは思わない。

例えば、公務員の職がもらえるとしよう。
残業なしの定時帰宅、ボーナス満額で有給も取り放題。

ただし仕事は「放射能は安全です、と市民を納得させること」

一切躊躇せずその場でお断りする。

例えば、大手企業でエリート管理職のポストをもらえるとしよう。
交際費は無制限で、退職金もたっぷり。

ただし仕事は「なんとしても原発を稼動させること」

億の金を詰まれても嫌だと言える自信がある。

世間の目が冷たかろうが、極貧生活を送ろうが、
もうお金では動けない。

知ってしまった以上、後戻りはできない。

そこまで悟れれば、多分「ひきこもり」生活で病むことはない。

最低限のモノだけに囲まれた質素な暮らしって、
慣れると結構快適なんだよね。

ひきこもり、万歳。

人畜無害な「ひきこもり」

最近「ひきこもり」の何が悪いのかよくわからないんだよね。
麻痺しちゃってるのかしら?

だって、原発を爆破させたわけでもないし、
放射能をばら撒いてるわけでもないし、
子どもの疎開を邪魔してるわけでもないし、
お金をもらってウソ情報を垂れ流しているわけでもないし、
汚染された食べ物を給食に出してるわけじゃない。

「ひきこもり」なんて、むしろ人畜無害だと思うんだけど。

人間関係が苦手で外に出たくないってそんなに罪なコトですか。
ブラック過ぎる会社じゃ働けないのってそんなに駄目なコトですか。
お金の余裕があるヒトに寄生してるってそんなに悪いコトですか。

放射能を垂れ流しにしたり、子どもを被曝させ続けたり、
日本という国を消滅させようとすることよりも
非難されるべきコトなんでしょうか?

この期に及んで「ひきこもり」のネガキャンしてるヒトって、
何か別の意図があるんじゃないかと勘繰りたくなる。

ガス抜き?スケープゴート?目くらまし?

「ひきこもり」のお前が言うなって感じだけど、言っちゃおう。

もう「ひきこもり」なんかに構ってる場合じゃないでしょ?
今の社会にそんな余裕がどこにある?

人畜無害な「ひきこもり」なんかほっときゃいいじゃん。
もっと他に大事なことがあるんじゃないの。

ワタシはただの「ひきこもり」だけど、今やるべき最優先事項が、
「ひきこもり」バッシングでないことだけはわかる。

ひきこもり、万歳。

プロフィール

KIKI

Author:KIKI
今、必要なのは、情報に流されず、変化を恐れない「強かさ」と「しなやかさ」。シンプル・ミニマム志向で、消費の縮小と健康の維持に取り組む「ひきこもり」のブログ。(コメントは有難く読ませていただいていますが、現在お返事をする余裕がありません。何卒ご了承ください。)

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