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日本人の「強さ」と「優しさ」。

どんどん悲惨な被害状況が明らかになっています。
亡くなられた方の数も増えているようです。
心からご冥福をお祈りします。

まるで悪夢か地獄絵を見せられている気分ですが、
それでもワタシは、希望を捨てないでいようと思います。

確かに、むやみに不安を煽ってるロクデナシもいるし、
この状況を利用してお金を儲けようとしているヒトデナシもいる。

そもそも誰かが何らかの目的の為に計画的に起こした人工地震の
可能性だってある。

それでも多くの善良なヒトたちは、最悪の状況でも暴徒化したり
せず、ちゃんと列を作って乗り物を待つし、きちんとお金を払って
必要な分だけの買い物をして、余った分は困っているヒトの為に
回そうとしているのです。

どんな時にも無法地帯にならない日本は、本当に素晴らしいです。

確かに流されやすいし、騙されやすい所もあるけれど、
それでも、ワタシは、日本人の良心と底力を信じてます。

イザという時には、他人を思いやれる日本人を誇りに思います。
みんなで助け合い、支え合い、生き延びましょう。

一人でも多くの命が助かりますように。
少しでも早く、ライフラインが復旧しますように。
「生きている」幸せを感じられますように。

踏ん張れ、ニッポン!

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何を、信じるか。

いろいろな情報が流れています。
嘘もあるだろうし、デマもあるだろうし、誇張もあるでしょう。
まさに玉石混交です。

政府の発表を信じるヒトは信じればいい。
マスゴミの流すニュースや新聞記事を信じるヒトは信じればいい。

自称「専門家」の見解を信じたければ信じればいいし、
どこかのカリスマブロガーが書いていることを信じたければ信じればいい。

ワタシは、できるだけ多様な情報を吟味した上で、
直感で選ぶけれど、それが必ずしも正解というわけじゃない。

ただね、自分が信じると決めたなら、結果に責任を持つべきだと思うんですよ。

何でもカンデモ誰かのせいにし続ける人生に果たして意味はあるのか?

とりあえず今は、目的不明の情報に振り回されるより、
自分が本当に必要としているモノが何なのかを冷静に判断する方が
大切なんじゃないかな、と思います。

誰がなんと言おうと、しないよりしておいた方がいいこともあるし、
自分の身を守ること、少しでも生き延びようとすること、
その為にできることがあるなら、すればいい。

目覚めよ、ニッポン!

本当の被災者を、忘れない。

関西出身のワタシは、避難所で毛布に包まったり、給水車に並んでいる人たちの
映像を見ると、阪神大震災のことを思い出します。

あの時は、余計なことばっかり考えてました。

ちょっと離れた所ではフツーの生活が続いていることを恨んだり。
いざという時に何の役にも立たない行政に憤ったり。

何で、自分がこんな目に遭わなきゃいけないんだろう、とか。
何か、罰当たりなことでもしただろうか、とか。

何で自分だけ生きてるんだろう、とか。
自分よりもっと生きる価値のあるヒトがいたんじゃないか、とか。

何もかも失って、もうお先真っ暗だ、とか。
もう、生きてても仕方ない、とか。

本当に、いろいろ、答えの出ないことばかり考えてました。

でも、今もワタシはココにいて、それなりに幸せだと思える人生を送っています。

今回の被災者、特に津波の被害に遭った人たちは、阪神大震災の時よりも
辛い思いをしていることでしょう。

行政は、被災地の救済より原発の問題を優先させているように見えるし、
メディアでは、東京の人たちの不便さや不安さばかりが強調されていて、
被災者の方達は、見捨てられたような気分でおられるかもしれません。

でも、ワタシは忘れてませんから。

家族や友人や、家や仕事や、何もかもを失い、それでも必死で生きようと
している人たちがいることを、ワタシはちゃんと知ってますから。

だから、どうか、絶望したり、自棄になったりせず、
心を強く持っていて下さい。

「生きてて良かった。」
被災者自身ができることは、そう信じることだけです。

それ以外のことは、被災地域外の我々が考えますから。

今、何をすべきか。
誰が、どう動くべきか。

一生懸命考えて、できることをしますから。

とりあえず、被災地のみなさんは、生き延びて下さい。

負けるな、ニッポン!

被災地への支援。

とりあえず今、ぬくぬくと平穏な日常を送れているヒトは、
被災地の様子に心を痛めていることと思います。

そして、手当たり次第、何でも買い占めるのではなく、
被災地の為に、自分ができることを考え、募金をしたり、
物資を送ろうとしていることでしょう。

ちなみにワタシは、募金をするよりも、各自治体、ボランティア団体が救援物資を
受け付けている時に、その団体が必要としている「モノ」を送りたいと思います。

阪神大震災の時、ワタシは、義援金に助けられたという実感がないからです。
きっと間接的には恩恵を受けていると思うのですが、よくわかりません。

義援金というのは、被災者に直接「現金」として配られないし、
大部分がその団体の運営や人件費に使われたりして、
必ずしも被災者の支援につながらないこともあるようです。

あくまでも、ワタシの個人的意見ですが、特に、すべてのモノが十分ではない
初期の段階では、お金よりも物資の方が、確実に被災者に届くような気がします。

もちろん、この団体なら信用できるという募金先があるヒトや、
何が、いつ、どこで必要なのかわからないから、お金を送るのが一番だと思うヒト、
被災者の為に集められた義援金を悪用されるわけないと信じているヒトは、
募金すればいいと思います。

多分、お金も物資も、両方必要でしょうから。

いずれにしろ、本当に難しいのは、義援金や救援物資を集めることではありません。

集まった物資を被災地に届けて、それを必要としている被災者に配ること。
集まったお金を被災者と被災地の復興の為に、いかに有意義に使うか決めること。

ボランティアや慈善事業に関わったことがあるヒトなら知っていると思いますが、
集めた「後」の方がよっぽど大変なんです。

任意団体や業者に丸投げすればいいってもんじゃありません。

何もしないよりは、何かする方が、マシなのかもしれませんが、支援する側には、
自分の善意でした支援が、ちゃんと誰かの役に立っているのか、
きちんと最後まで確かめる責任がある、とワタシは思います。

そして、現時点で一番問題なのは、被災地へのアクセスが確保されておらず、
「カネ」も「モノ」も、何にも現地に届いてないことです。

ほとんど被害を受けてないはずの道路が、なぜ通行止めなのか?
なぜ救援物資を運ぶためのトラックに優先的に石油を確保できないのか?
空路や海路は使えないのか?

政府や自衛隊の対応にもっと注意を払い、関心を持つべきです。

原発も確かに大変だけれど、被災地の人たちを見殺しにはしてはいけない。
恐怖や不安で極限状態にある人たちを、孤立させてはいけない。
支援が行き届いていないがために、避難所で亡くなる人をこれ以上増やしてはいけない。

動き出せ、ニッポン!

「責任」恐怖症。

最近、ネット上の情報が「不安を煽ってる」と非難されることがあるようですが、
事実を書いてるだけのブログを読んで、不安になっちゃうヒトがいるのって
一体何なんでしょう?

世の中、そんなに「不安」アレルギーの人が多いんですか?

確かに、むやみやたらに怖がらせるような記事や、「もう終わりだ」とか
絶望させるような記事はどうかと思います。

だけど、マスゴミや政腐、盗電の対応に疑問を呈したり、最悪の事態に
備えて覚悟しましょうと提案をしているだけのブログが炎上するのって、
何かおかしくありませんか?

これが噂の「工作員」ってヤツでしょうか?

ワタシは、お金をもらって妨害しているプロだけではなく、
ちょっと「責任」恐怖症なだけのフツーのヒトも結構大勢いると思います。

「責任」恐怖症なんて医学的に認められているのかどうか知りませんけど、
とりあえず、ワタシがネットで観察した「責任」恐怖症のヒトの特徴を
まとめてみました。

***********************************

自分の頭で考えることができない。

自分で判断することができない。

一番耳障りのいい言論だけ信じていたいので、
それ以外の耳障りな言論は完全拒否。

議論なんて混乱するだけだから、反対意見を
述べたりするヒトに対して敵意を感る。

自分のことだけで精一杯なので、他人のことまで
構ってられない。

自分の今の生活を守りたいので、それを危くするような
真実は絶対に知りたくない。

本当のことを知ってしまうと、今の居心地の良い生活が
壊れてしまうと本能的に察しているので、自分に都合の悪い事は、
見たくないし、聞きたくないし、信じたくない。

現実に直面する勇気も覚悟もないので、
自分に無理やり現実を知らしめようとするヒトを、
誹謗中傷したり「攻撃」することもある。

***********************************


なんか、ものすごく厄介な存在のように見えますが、
ワタシは、別に「責任」恐怖症のヒトを責めるつもりはありません。

この数年、なんでもかんでも「自己責任」で片付けられ、
自分の判断で動いたり、自分の頭で考えるヒトが、周りから叩かれ、
排除されてます。

日々そんな様子を目の当たりにすれば、「責任」なんて怖くて持てない、
自分が責任を問われるような事態はできるだけ避けたいって思うヒトが
増えるのは当然のことだと思うからです。

つまり、「責任」恐怖症というのは、行き過ぎた「自己責任論」の弊害です。

でも、気づいて欲しいと思います。
「責任」からは逃げられても、「結果」からは決して逃げられない、
ということを。

仮に、政府の「大丈夫」という発表を信じて、避難せず、何の対策もしなかった
ヒトが被曝したとします。

そのヒトには何の責任もないかもしれませんが、「被曝」という結果は
受け入れなければなりません。

自分の望まない結果を押し付けられたとき、「責任」恐怖症のヒトは
何を思うのでしょう?

とりあえず、自分が悪いわけじゃない、と納得できるのでしょうか?

自分の責任で、あらかじめ避難していたヒトを責めたりはしないですよね?

必要以上に「責任」を怖がったせいで、被害に遭うなんて、馬鹿らしいと
思うかもしれませんが、最悪の事態が起こってから気づいても、遅すぎます。

備えあれば、憂いなし。用心するに越したことはない。
そんな言葉もあるじゃないですか。

いずれにしろ、善意で、警告を発しているブロガーを、人々の不安を煽って
楽しんでいる愉快犯のように扱うのは大きな間違いだと思います。

マスゴミの報道や、政腐や盗電の発表、個人ブログ、ツイッターなど、
何を信じるかは、一人ひとりが、自分の責任で判断するべきです。

最も優れた戦法というのは、敵が勝手に自滅するように仕向けることだ。
と、どこかで読んだことがあります。

ワタシ達は、自分でも意識しないうちに「同士討ち」をさせられている
のかもしれません。でも、今は仲間割れしている場合じゃない。

これからは、今まで以上に、個人レベルで助け合い、支えあうことが
必要になってくると思います。

多種多様な情報に惑わされることなく、自分の良心に基づいて、
自分にできることをしましょう。

騙されるな、ニッポン!


追記
「そんな余計な分析してる場合じゃないだろう。」と、この記事を読んで
気分を害した方がおられたら、申し訳ありません。先に謝っておきます。
悪意があるわけではないので、どうぞご理解ください。

「通常営業」に戻る時。

2011年3月11日。世界中が日本に注目しました。

連日連夜、地震や津波、原発関連の報道が世界中で流れましたが、
地震発生から10日、海外のトップニュースは日本からリビアに移りました。

テレビやラジオでも徐々に通常の番組が放送されるようになり、ブログでも
地震以外の話題が取り上げられるようになっています。

少しずつ「日常」に戻りつつあるという印象ですが、今も被災地には、
寒さや空腹と戦っているヒトがいるし、原発が危険な状態であることに
変わりはありません。

だから、終息宣言を出すのは、早すぎると思います。

大丈夫なのか、危険なのか、よくわからないギリギリの所で、
緊張状態を長引かせて、みんなが疲れて油断した頃合いを見計らって、
いざ本番・・・という最悪のシナリオだって絶対にない、とは言えません。

しかし、ずっと、緊張しっぱなしの警戒態勢でいることは、
精神的にも、体力的にも、キツイです。

ワタシも、地震発生以来、できる限り情報を集めようと毎日PCに張り付いて
いました。ネットに接続しっぱなしの日々をしばらく続けていると、そのうち、
他の事が何も手につかなくなって、ちゃんと眠れなくなって、だんだん、
何もかもどーでもよくなってきて、このままではヤバイな、と感じ始めました。

ここ数年、健康的で穏やかな、ひきこもり生活を送ってきたので、すっかり
忘れていましたが、ワタシは、もともとストレスに強い方ではありません。
むしろ、すぐ胃が痛くなるタイプです。

本格的にバーンアウトしてしまう前に、何とかしなきゃ、と思っていても、
すぐに、何事もなかったかのように、これまでの日常に戻れるはずもなく、
しばらく悩んでました。

実際、いつから「通常営業」に戻るかということは、非常にデリケートな
問題です。

切り替えが早すぎると、被災者の方々に申し訳ないし、不謹慎に思われる
かもしれない。でも、ずっと震災と原発のことだけを考えて生きるわけ
にもいかない。

阪神大震災の時、それまでは震災のことが報道のメインだったのに、
3月に地下鉄サリン事件が起こり、人々の注意と関心がオウムに移って、
とても複雑な気分になったのを覚えています。

そろそろパニックが落ち着いてきて、ショックからも立ち直り始め、
さあ復興頑張らなきゃ、という頃で、本当に大変なのは「これから」という
感じだったので、何か見捨てられたような気がしました。

だから、ニュースで取り上げられなくなっても、被災者にとっては、
それで「終り」じゃないのを、よくわかってるつもりです。

でも、当事者でもない自分が、何もかもほっぽり出して、いつまでも
日常を疎かにしたまま立ち止まっていても仕方ない。

正直、現地にいない人間が被災地のために出来ることは限られています。

ワタシが、この未曾有の危機にとらわれ続けた所で、誰かが救われるわけ
ではないのです。

もちろん、被災地で苦労しているヒトが大勢いることを忘れるつもりも、
支援や復興が手抜きにならないための見張りを止めるつもりもありません。

ただ、今回、直接被害に遭ったわけではないワタシは、自分に許された
平穏な日常に感謝しつつ、「今、自分ができること」に全力を尽くしながら、
これまで以上に毎日を丁寧に、一生懸命生きなければならないと思うのです。

挫けるな、ニッポン!

ひきこもり、万歳。

どこに「戻る」か。

まだまだ、不安定な状況が続いています。

出口の見えない長い長いトンネルの中にいるみたいですが、
このトンネルは一体どこに続いているんでしょう?

「復興」なんて語るのは時期尚早かもしれません。
気分を悪くする人がいたら、ごめんなさい。

でも、どこを向いているのか、全くわからない状態で動くより、
目的地を意識して走る方が少しはラクなんじゃないかなと思うので
書いちゃいます。

阪神大震災の時、「復興」という言葉は、震災以前の生活に戻ること
を意味していました。

今回に比べれば規模も小さかったし、被災地も限定されていて、
すぐ近くに「いつも通りの生活」を続けている人たちが大勢いたからかも
しれません。

とにかく、前と同じレベルの生活を取り戻すために、みんな必死で
復興に励んだわけです。

しかし、今度の地震では、津波の被害が広範囲にわたっているし、
被災者数だって桁違い、原発の危険性もあります。

そして、何故だかわからないけれど、物資の輸送が滞って、スーパーの
食品棚がスッカラカンになったり、乾電池や懐中電灯が手に入らなく
なったりもしました。今は「水」が売り切れ続出です。

多種多様な情報が、ネットやツイッターを通じて、飛び交っていますが、
原発が安全なのかどうなのか、結局はっきりしないし、十分な議論も説明も
されないまま、節電を強いられている地域もあります。

つまり、今回の地震では、被災者はもちろん、被災していないヒトも、
直接的であれ間接的であれ、何らかの影響を受けていると言えるでしょう。

だから、きっと、例え状況が落ち着いても、もう二度と前と同じ場所には
戻れないというヒトが、たくさんいるような気がするのです。

今回の「復興」は、多分、馬鹿みたいに資源を浪費し、必要でもないモノに
囲まれ、ゼータクすることが幸せだと勘違いし、大量生産・大量消費・
大量廃棄の悪循環を繰り返す生活を取り戻すことではありません。

次の目的地の呼び方は、循環型社会でも、持続可能な生き方でも、ロハスでも
自然との共存でも、江戸型リサイクル社会でも、縄文的生活でも、
エコライフでも、健康生活でも、ひきこもり的生き方でも、
なんでもいいけれど、要するに、資本主義的じゃない生き方になると思います。

ワタシ自身も含め、阪神大震災の被災者の多くは、何とか元通りの生活を
送れるようになった時、当たり前の日常の有難さも、命の大切さも忘れて
しまったかのように暮らすことを無意識に選択しました。

しかし今度は、もっと大きな気づきを、多くのヒトに与えるのではないか、
今度こそ、何かが変わるのではないか、そんな予感がしています。
もちろん、全員というわけにはいかないでしょうけど。

まあ、あくまでも「ひきこもり」の戯言ですから、
軽~く聞き流しちゃってください。

今後どうなるかなんて全くわからない。
でも、ちょっとだけ希望的観測を書いてみたくなった。
ただ、それだけなんです。

生まれ変われ、ニッポン!

ひきこもり、万歳。

変化を恐れない。

「生き方を変える」って、簡単じゃないです。

ワタシも、「働き人」から「ひきこもり」になった時、
細かい事にいちいち戸惑ったし、今後、もし、どうしても
ひきこもり生活を止めなくてはいけなくなったら、きっと
ものすごく困ると思います。

これまでの生活のやり方を、ただ続けるだけなら、手順も
わかっているし、何も考えなくても無意識にできる。

だけど、生き方を変えようと思ったら、また一から学びなおさなくちゃ
いけないことがたくさんあって、いちいち悩んだり、調べたり、
とっても面倒くさいことの繰り返し。

遠回りしたことや、失敗したこと、いろんな経験を積んで今に至ったわけ
だけれど、これまで信じていたことを否定するのって、何か自分の人生
そのものが無駄だったような気もしてしまう。

変化を恐れ、自分が変わるのを頑なに拒否し続けてるヒトからは
キ○ガイ扱いされるだろうし、家族や友人、同僚や知人など、周囲の人たちの
中で、変わろうとしているのは自分ひとりだけかもしれない。

でも、もう一刻の猶予もないところまで追い詰められちゃってる
と思います。

「変わるの嫌だなあ」とか、「このままでいいじゃん」なんて、
悠長なこと言ってられる段階ではないみたいです。

今、変わらないと、取り返しのつかないことになっちゃう気がします。

何かおかしい。
このままじゃ、いけない。
そう感じつつも、多くのヒトは、これまで通りの価値観で、
フツーと言われる生き方をしてきました。

でも、そんな中途半端な状態は、もう終りにしなければ。

もうこれ以上、問題を先送りにすることはできない。

変化の時が、来た。

ワタシ達一人ひとりが、自分の生活や、考え方や、生き方を
変えなければ。

だって、世界はもう変わり始めているのだから。

これまでは、何となく流されていても生きていけたかもしれないけれど、
今度の変化は、多分、これまでとは規模も違うし、意味も違う。
ついていけなければ、きっと、取り残されてしまうでしょう。

何かちょっとスピ系はいっちゃってますが、
とりあえず、「変わらなきゃいけない」って思う、今日この頃。

動き出した世界に置いていかれないように、
ワタシも「今、自分に出来ること」を、始めます。

臆するな、ニッポン!

ひきこもり、万歳。

迷いを捨てる。

これまでは、ただ、生き延びればいい、そう思っていた。
ただ、生きていればいい、そう信じていた。

でも、どうもそれでは十分じゃないらしい。

何のために生きるのか。
何のために生まれてきたのか。

いかに生き延びるかではなく、
いかに生きるかを、一人ひとりが考えなければならないようだ。

食べ物や持ち物だけじゃなく、人生だって「量より質」。
どんなに長く生きたって、中身が空っぽだったら意味がない。

もうジタバタするのは、やめようと思う。

何を準備すれば、最悪の事態を避けられるか。
どこへ逃げれば、危険から逃れられるか。
何を食べれば、健康を害さなくて済むのか。

そんな事ばかり考えてても前には進めないから。

きっともう世界中どこを探しても100%安全な場所なんてない気がするから。
ココロが不安なうちは、どれだけ何を買い占めても安心できないだろうから。

最低限の備えをして、自分に出来る限りの予防策を講じたら、
あとは「今」を精一杯生きるだけ。

今、この瞬間に世界が終っても後悔しないよう生きたい。

絶望したり、自暴自棄になったり、「どうせ」と言い訳して
自分の良心を裏切るような真似をしていても仕方ない。

家族を愛する。
一生懸命働く。
ボランティアをする。
自然を大切にする。
・・・何でもいいけど。

自分が、「ココ」と決めた場所で、
自分が、「コレ」と決めたことに全力を尽くす。
もう、それしかないと思う。

そして、一度決断したら、何があっても動じない。

自分の無力さを嘆くのも、
情報に踊らされるのも、
現実を見てみぬフリをするのもやめる。

ワタシは、もう、逃げない。

肝を据えよ、ニッポン!

ひきこもり、万歳。

「生」を「楽しむ」という視点。

3月11日に発生いたしました東日本大震災により、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
被災されました多数の皆様、およびご家族の皆様に対し、謹んでお見舞い申し上げます。
被災者救助や災害対策に全力を尽くしている関係者の方々、それを支えるご家族の方々に、
心から敬意を表します。一日も早い復旧・復興を、心からお祈り申し上げます。


いろんなサイトやメールの冒頭に必ず書いてある。
多少の違いはあれど、言っているコトは大体同じ。

別に、それが悪いことだと思っているわけじゃない。
ワタシも書いたし。

こんなこと書くと不謹慎だと怒られるかもしれませんが、
最近、被災地域の話や原発関連のニュースを読む度に、
気が滅入ってくるし、生きていることに罪悪感すら覚えてしまう。

「平穏な日常を当たり前に思わず、小さな幸せに感謝しながら暮らす」
それがワタシの信条だけど、この頃、生きていることが楽しいと思えなくて
困ってます。

地震や津波、原発で亡くなられた方や、その家族、
今も避難所で不自由な生活をしている方達のことを思えば、
自分はなんて恵まれているんだろう、とか。

今、被災地の人たちの苦労に比べたら、このくらい我慢しなきゃ、とか。
被災していない自分が、頑張らなくてどうするんだ、とか。

別に誰かから、人生を楽しむことを自粛するよう強制されているワケじゃないけど
今、自分がフツーに生活できていることが、申し訳なくて仕方ない。

でも、最近、疑問に思う。

被災地で苦労しているヒトがいるからって、自分も同じように苦痛を感じて、
同じように不安を感じて、全てを我慢しなくちゃいけないんだろうか?

地震や津波、原発で亡くなった方やその家族、被災地の方たちは、
日本全体が何でもカンデモ「自粛」して、みんなの生活から笑顔が消えて
いくことを、望んでいるんだろうか?

原発が廃炉になり、復興が進み、多くの人が、安心で、安全な日常を
取り戻すまで、日本中、世界中が喪に服さなければいけないのだろうか?

節操もなく馬鹿騒ぎしたり、景気対策のためにお金を使えって
思っているわけじゃないけれど、被災したわけでもないのに、
必要以上に落ち込んでいたって、復旧・復興には何の役にも立たないはず。

だから、ひきこもりのワタシは、いままで通り、日々の生活の中で、
「健康の維持」と「消費の縮小」に取り組み、シンプル・ミニマムな
暮らしを実践し続けようと思う。

少ないお金、限られたモノを利用して、健康的に、豊かに、
人間らしく、幸せに暮らすための道筋を作っておくことは、
今後、抜本的に変わらざるを得ない社会の中で生き延びるために、
大切なことだと思うから。

被災地の人たちのこと、原発に関わっている人たちのこと、
日本の未来、世界中で今後起きるだろうコト、
考え出すと胃が痛くなって眠れなくなるようなことばかりですが、
少しずつ、生活を「楽しむ」という視点を取り戻したいと思います。

もちろん「楽しむ」余裕なんてないヒトが大勢いることもわかっているけど、
みんなが嘆き悲しんで、泣き暮らしても何も解決しない。

「辛い時こそ笑顔」って言葉、案外本質を突いているのかもしれない。
「笑う門には福来る」って言葉もあるしね。

底なし沼の落ち込みモードから、一歩前進。

ちょっと元気が出てきた、
ひきこもり、万歳。

「これまで」の生活って・・・?

「水や電気やガスが普通に使えること。学校に行ったり、働いたりできること。
これまで当たり前に思っていた生活が、いかに貴重で大切なものだったか、
初めて気づきました。」

震災後、よくみる発言ですね。
ワタシも昔は、同じようなこと、思ってました。

確かに、当たり前の生活に感謝したり、
自分が恵まれていたことに気づいたり、
「生きている」という奇跡を自覚するのは、悪い事じゃない。

でも、ちょっと待った。

そこで思考を止めちゃったら不味いんじゃない?
毎日毎日、吐き気がするほど、いろんな事を考えてて、ふと思った。

「これまで」の生活って、本当に幸せだったんだろうか?
どこにも不満なんかなくて、みんな満足して暮らしてたんだろうか?

確かに、ライフラインは整ってたし、物質的には豊かだったかも
しれないけれど、そんなに素晴らしい世界に我々は生きていたんだろうか?

それなりに働いたら、定職に就けて、ある程度の給料がもらえて、
家族をもって、家を買って、年金もらって・・・
そんな「神話」は、もうとっくの昔に崩れてたじゃない?

過労死や、ワーキングプアや、ネット難民を抱え、病んだヒトが大勢いて、
毎年膨大な数の命が絶たれていた社会に、本当に戻りたい?

被災者だろうがなかろうが、自分の一つ上の世代と同じレベルの生活を
手に入れることすらできないヒトが大勢いたんじゃないの?

原発事故が起こっても起こらなくても、経済はどこも行き詰ってたし、
資源の無駄遣いや環境破壊しまくりの資本主義に未来なんか
なかったでしょう?

食糧問題だって、エネルギー問題だって、環境汚染だって、
雇用の問題だって、よく考えてみれば、「何を今更?」

これまで臭いものにフタをし続けていた問題が、表面化しただけ。
見てみぬフリをしていた汚点に直面せざるを得なくなっただけ。

「サバイバーズ・ギルト」とか、「共感疲れ」とか、「震災ウツ」とか、
いろいろ言われてるけど、いくら被害者面したって、ヒーローごっこしたって
悲劇のヒロインぶったって、何も解決しない。

みんなが悲しみに浸っている、ドサクサに紛れて、重要な情報が隠蔽されたり、
言論統制が行われたり、わけのわからない選挙があったり、意味不明に復帰したり
してるヒトがいたりするじゃない?

何でもカンデモ、地震や津波の被害、原発事故の影響なんて理由は通用しない。

心優しい「いいヒト」は、要注意ですよ。「緊急事態」だからって、何でも
我慢したり、暴挙も寛大に許せばいいってもんじゃない。

辛くても、苦しくっても、ちゃんと目を開けて、
今、何が起こっているのかを知らなきゃいけない。

化けの皮がはがれかかっているウソを見抜いて、
「今、本当に大事なこと」を始めないといけない。

「これまで」の生活を美化して、今の状況を悲観し、嘆き悲しんでいるよりも、
「これから」の生活をいかに、健康的で、人間らしく、幸福なものにするか
考える方がよっぽど建設的だと思う。

誤魔化されるな、ニッポン!

今、残っている「希望」。

もうダメかもしれないって時こそ、忘れちゃいけないものがある。

確かに、これまでと同じような「希望」は持てないかもしれない。
でも、だからって「希望」がなくなってしまったわけじゃない。

これまでとは違う、新しい生き方を実現するという「希望」。

これまでより健康的で、人間的な生き方を選ぶことができるという「希望」。

これまでの間違って進めてきたことを軌道修正するという「希望」。

これまで縛られてきたものから、解放されるという「希望」。

これまで破壊し、搾取しつくしてきた自然と共存するという「希望」。

これまで憎み合い、争いあってきた相手と助け合うという「希望」。

これまで使い捨ててきたものを再利用するという「希望」。

これまで無駄遣いし続けてきたモノを、大事に使うようになるという「希望」。

これまで身に付けてきた贅肉を削って、すっきりスリムになるという「希望」。

これまで複雑に絡み合っていたしがらみを捨て、シンプルに生きるという「希望」。

テキトーに考えただけでも、これだけの「希望」が思い浮かぶ。
真剣に考えれば、もっともっと沢山の「希望」が見つかるはず。

いろいろなモノが、流れて、壊れて、失われてしまって、
大変な状況は、これからも、まだ当分続くだろうけれど、
でも、だからって、全ての「希望」が消えてしまったわけじゃない。

これまでと同じ「希望」を維持していくことができないなら、
別の「希望」をみつけて育てればいいだけのこと。

「希望」の種は、小さなものから大きなものまで、
あっちこっちに散らばっているはずだから。

種を探すのも、世話をするのも、決して簡単じゃないだろうけど、
きっと、これまで見た事がないくらい綺麗な花が咲くと思うんだ。

絶望してるヒマなんてない。
ひきこもり、万歳。

緊急!?でも「ほどほどに」。

本日2011年4月14日は、「危険日」なんだそうです。
アチコチで警報が出ています。
ワタシも、何となく嫌な胸騒ぎがします。

と、言っても、別に普段通りなんですけどね。

「いざ」という時のためにできることは、もうすでに
備えてるし。

危機感を持つとか、防災意識を高めるっていうのは大切だと思います。
でも、どれだけ準備しても「完璧」にはならないわけです。

「過ぎたるは及ばざるが如し」
そういうことわざ、ありますね。

「食べ過ぎ」も「持ち過ぎ」も「考え過ぎ」も、
「備え過ぎ」も、きっと、良くないと思うんですよ。

ある程度の所で「これで十分。」
そう思えないと、しんどいですよ。

非常食や防災グッズだって、ナンでもカンでも沢山集めればいいって
ものじゃない。

一人暮らしなのか、家族がいるのか。
乳幼児や老人がいるのか、成人だけなのか。
都会に住んでいるのか、田舎に住んでいるのか。
住んでいる所は木造なのか鉄筋なのか。
原発が近くにあるのかないのか。
保存食などを買いだめするスペースが家にあるのか。
働いているのかいないのか。
貯金があるのかないのか。

いろんな要素が関わってくることでしょう。

つまり、ただ「防災意識を高める」と言っても、
実際に何をするのかという具体的な行動は、人によって違うはず。

自分の生活や人生に相応な、身の丈にあった、自分なりの行動を
考えるべきだと思います。

日本が危ないからと言って、誰もが海外に避難できるわけじゃない。

被曝の危険性があるからと言って、誰もが核シェルターに住めるわけじゃない。

水から放射能物質が検出されたからと言って、誰もが何百、何千リットルもの
ペットボトルを死ぬまで買い続けることができるわけじゃない。

食べ物が安全じゃないかもしれないからと言って、誰もが一生分の食料を
買いだめできるわけじゃない。

自分が本当に必要なモノと、そうでないモノを見分けられるようにならなければ。

現実を正しく認識し、避けられるモノは避ける。
受け入れなければいけないことは受け入れる。

極端に不安がるわけでもなく、能天気に楽観視するわけでもなく、
淡々と生きるしかない。

今、本当にそう思う。

落ち着け、ニッポン!

ひきこもり、万歳。

「長期戦」への心構え。

14日は何とか無事に過ぎましたね。

太陽の黒点が増えた後も要注意らしいし、
あと危ないのは6月と9月でしたっけ?

まあ、「油断大敵」気を緩めるなってことですね。

ネット上では、3月の地震は「終り」の「始まり」でしかなく、
続きがあるという見方が多いようです。

確かに、地震が起こらなかったとしても、富士山が噴火するかもしれないし、
原発が爆発するかもしれない。

「ゴール」にたどり着くのは、まだまだ先になるでしょう。

ただ、「終り」の見えない戦いって必要以上に疲れるんですよね。

一段落したら、次のステップに進んで、復興に向けて行動し始めることも
できないし。

知ることは大事。防災意識を持つことも大事。備えることも大事。
でも、情報に振り回されてるだけじゃ、体力的にも精神的にも、
日々消耗していくだけ。

ワタシも含めて、「これからどうなるのか」という問題に囚われすぎて、
「今、何をするのか」という視点を忘れ、その場に立ち竦んで
しまっているヒトが多いような気がします。

今の段階で、「終り」は全く見えないけれど、「長期戦」になることだけは
確かなんだから、もう覚悟を決めるしかない。

原発事故の危険性がなくなったとしても、放射能物質はすでに至る所に
散りばめられてるし、日本が地震大国であることに変わりはない。

地震の起こる国で、火山のある場所で、原発の近くで、生きるのは危険だ、
ってことくらい、わかっていたことでしょう?

っていうか、もはやこの地球上で100%安全な場所なんてない。

望んでも、望まなくても、もう、この先ずっと
「危険」や「不安」と共に生きるしかないんです。

これまでだって、「ウソ」や「陰謀」、「農薬」や「添加物」
「インチキ医療」や「人工ウィルス」と共に生きてきたじゃないですか。

それに「放射能物質」や「太陽磁気」が加わっただけ。

見たくないし、聞きたくないし、知りたくないし、関わりたくないモノと、
共に生きることが、神の采配なのか、宇宙の真理なのか、ワタシにはわからない。

でも、それら「厄介モノ」が、避けるべきモノではなく、
共に生きるべき、自分の一部なのだと思えるようになったら、
この先の見えない長期戦も、ちょっとはラクに流せるような気がしてきませんか?

「運命」なんて言葉は、胡散臭くて好きじゃないけど、
この大変動を生き抜くことが自分の「運命」なんだと思って、
現実を受け入れて、困難と向かい合うことができるなら、
それもいいんじゃないですか?

逃げても、避けても、見てみないフリをしても無駄。

少しずつ、少しずつ、自分の生活と考え方を変えながら、
毎日淡々と生きていく。

ひきこもり、万歳。

成長期の「ひきこもり」。

ワタシが今、欲しいモノ、「あの頃」とは全然違う。
ワタシが今、目指すモノ、「あの頃」とは全然違う。
ワタシが今、知りたいコト、「あの頃」とは全然違う。

自分の欲望だけを純粋に追っかけてた「あの頃」が、
時々懐かしくなることもある。

でも、「あの頃」に戻りたいとは思わない。

ワタシが今、欲しいモノ、目指すモノ、知りたいコトは、
ワタシ「だけ」が幸せになれる方法じゃなくて、もっと多くの人と
幸せを分かち合うための方法なんだと気づいたから。

大人になるってことは、自分のことだけじゃなく、
周りの人の幸せを願えるようになること、なんじゃないかな。

ずっと一途に何かを求めてる人って、格好良く見えるけど、
自分の求めるモノが変化することだって、別に悪くないと思う。
いろんなことを経験して、考えて、成長してる証じゃない?

ぐらぐら揺れて、迷って、悩んで、ヒトはそうやって何かを学んで
いくんじゃないのかな。

多分、一生、成長期。
ひきこもり、万歳。

連休中にすべきこと(その1)。

ワタシは年中休みの「ひきこもり」なので何の関係もない
フツーの毎日なんですけど、世間はGW。

大型連休の過ごし方について考えてみました。

ばんばんお金を使って、
どんどん消費して、
じゃんじゃん捨てて、
また買いまくる。

そんな過ごし方が理想だと思いますか?

「自粛は敵だ!経済を盛り上げなければ!」
なんて戯言を信じて、原発バブル・震災バブルでも起しますか?

もう先なんてない、壊れるだけの資本主義に
まだ貢ぐんですか?

最後の最後にガッポリ儲けてやろうって
腹黒い輩の思う壺なんじゃないんですか?

まあ、それぞれ好きなように過ごせばいいんでしょうけど
折角まとまった時間があるのなら、これまで先送りにして、
見てみぬフリをしてきた問題ときちんと向き合ってはどうですか。

今何が起こっているのか、とか。
今後どんな未来が予測されているのか、とか。
これからどんな社会を目指すべきなのか、とか。

ネット上には、いろんな情報が山のようにあるわけですしね。

自分はどんな風に生きていきたいのか、
自分にとって本当に大切なモノは何か。
自分にとって本当に必要なモノは何か。

一人ひとりが、きちんと真剣に考えて、
自分なりの答えを見つけられればいいのにな、と思います。

「お金使うより、頭を使おう。」
ひきこもり、万歳。

連休中にすべきこと(その2)。

自分はどんな風に生きていきたいのか、
自分にとって本当に大切なモノは何か。
自分にとって本当に必要なモノは何か。

一人ひとりが、きちんと真剣に考えて、
自分なりの答えを見つけられたなら、
次にすべきことは、生活のスリム化です。

これまで貯めこんだ贅肉を落としましょう。
不必要なモノを処分しましょう。

と言っても、ただ捨てるんじゃなくて、写真を撮って、
フリマ的機能のあるサイトに「あげます」ってアップしましょう。

「売ります」じゃないですよ。オークションもダメですよ。
無料譲渡が基本です。

どうせ使わないんでしょ?
捨てるつもりだったんでしょ?
誰かの役に立てば素晴らしいじゃないですか。

ケチケチ値段付けないで「タダ」であげちゃって下さい。
手渡しできる範囲のやりとりなら、送料もかからないですしね。

そして、もし被災地から「欲しいです」の連絡がきたら、
「タダ」で送ってあげましょうよ。

自分自身はもう必要じゃないけれど、被災地域のヒトが
必要としているモノが、たまたま手元にあったのなら、
送料くらい負担すればいいじゃないですか。

闇雲に支援物資を送ったり、いつ誰の役にたつのかわからない
義援金を寄付するより、喜んでもらえるかもしれませんよ。

一対一。顔の見える交流って大事だと思うんですよね。

被災者って一括りにしちゃうと、一般的で大雑把なモノしか
思い浮かばないけれど、欲しいモノ、必要なモノには個人差が
あるはずだし。

もちろん、この案は、ネットの使える地域・環境のヒトに限定されて
しまって、避難所で隔離されているヒトたちには無効だということは
わかってます。でも、何もしないよりはマシということで許してください。

「欲しいモノがあれば、まずは中古を探す。」
ひきこもり、万歳。

「金はないけど、菌はある。」

ワタシが一番初めに興味を持った「菌」は、肌の常在菌でした。
化粧品を使うのをやめ、洗顔をやめ、シャンプーをやめ、
石鹸もあまり使いません。

洗濯や掃除、食器洗いも「洗剤なし」なので、化学薬品に触れる機会は、
もう、ほとんどありません。

多分、ワタシのカラダは、清潔大好き、殺菌万歳なヒトが見たら卒倒する
くらい、「菌だらけ」でしょう。

カラダだけじゃなくて、食生活も「菌だらけ」です。
ハーブやフルーツから天然酵母を起してパンを焼いたり、ヨーグルトを増やしたり。
その後、牛乳を買わなくなったので、ヨーグルトは食べなくなりましたが、
代わりに、豆乳や発芽玄米を発酵させてヨーグルトもどきを作って食べてます。
発酵食品、大好きです。

今年は、手前味噌も仕込んだし、キムチやザワークラウトも作ってるし、
大麦のスプラウトを発酵させた「リジュベラック」なるものも飲んでるし、
最近話題の「米のとぎ汁発酵水」も育ててる。

改めて振り返ってみると、ひきこもり生活を続ける中で、家の中にも、
カラダにもドンドン「菌」を繁殖させてきたんだなあ、ということがわかります。

ワタシが、とっても健康で、「医者要らず、薬要らず」な生活を送れている
のも、実は「菌」のおかげなのかもしれない。

手作り発酵食品って、道具をイチイチ消毒するのも面倒くさいし、
注意しててもカビが生えたり、雑菌が繁殖してしまう可能性もある。

でも、放射能とか化学薬品とか添加物とか厄介なモノに囲まれて
暮らしている今、手作り発酵食品を食べる危険性より、食べないで
ビョーキになる危険性の方が高いんじゃないかな、と思うんです。

右を向いても左を向いても、リスクだらけの世の中、
手作り発酵食品だって、決してリスクゼロじゃない。
だから、食べるも食べないも、菌を育てるも育てないも個人の自由。

ただ、ワタシは、「菌」と共に生きる道を選びたい。
できるだけ健康に、できるだけ自然に、天寿を全うしたいと思うから。

金はないけど、菌だらけ。
ひきこもり、万歳。

マスゴミは、狼少年。

どうも。ワタシ、スプラウトを毎日食べるひきこもりです。
もちろん「もやし」も最低週に3日は食べます。
かれこれ、半年以上そんな生活をしています。

最近ちょっと更新頻度が落ちてますが、決して腸管出血性大腸菌O104で
苦しんでいるわけではありません。

本当に「もやし」が危険なら、「もやし」を生でサラダにして食べることも
多いワタシは、とっくの昔に感染していることでしょう。

・・・別に平気です。

まあ、乳酸菌や発酵食品を毎日摂取しているので、仮に大腸菌に感染しても
必ずしも問題にならないのかもしれません。

O104 で亡くなられた方たちと、風評被害で破棄された大量のキュウリやスプラウトと、
それを育てて生計を保っていた農家の方々に心からお悔やみ申し上げます。

ワタシは、天邪鬼なひきこもりです。

政府が「大丈夫」、と言えば、できるだけ避けます。
政府が「食べるな」、と言えば、フツーに食べます。

メディアが賞賛するものには、疑いをもち、
メディアが批判するものこそ、本当は真実なのかもしれないと思います。

いつからだろう?権力を持つ側のヒトたちはウソをつく、と
当たり前のように感じるようになったのは・・・。

最近、あまりにもウソがあからさま過ぎて、ワタシみたいに、疑心暗鬼じゃなくても、
メディアの言うことを無条件に信じられなくなっているヒトが多いんじゃないですか?

もう少し、真実や役に立つ情報も混ぜて、ウソは巧妙に隠さないと、狼少年みたいに
そのうち誰も、何も信じてくれなくなりますよ?

って、お節介なこと言いたくなるくらい最近のマスゴミは酷いです。

生野菜やスプラウトを食べて、健康になられては困るヒトの陰謀なんじゃないかと
疑いたくなるくらいです。

次は「手作り発酵食品はキケンだ!」とか「米のとぎ汁乳酸菌はインチキだ!」とか、
騒ぎ出すかもしれませんね?

もうすぐ夏、トマトの季節。
今年もベランダにミニトマトを植えました。

もはや、100%安全な食べ物なんてないのなら、ちょっとくらい身体に良くないモノが
入ってきても悪さをさせないような、代謝の活発な発酵人間になるしかないでしょう。

狼少年・マスゴミは信じない。
ひきこもり、万歳。

悲しいお別れ。

ここ数日、ちょっと落ち込んでました。
イロイロ考え始めると、自分の殻に閉じこもりたくなるんですよね。
って、ワタシ、もともと「ひきこもり」ですけど。

きっかけは、某自称アイドルグループ騒動。
ワタシ、テレビ持ってないですから、あんまり知らなかったんですよね。
興味もないし。

新聞の号外まで出るような、国民的関心が集まっているなんてビックリでした。
もっと、一部の人たちだけのお祭りだと思っていたので。

ワタシは、別に長生きしたいとも、今すぐ死にたいとも思ってなくて、
ただ、これから世界がどうなっていくのか興味があるだけの「ひきこもり」です。

でも、もし、今、みんなが少しずつ生活を変えていくことで、明るい未来を
実現できるなら、それに越したことはないと思ってたんですよね。

ワタシ、甘かったです。

将来なんてどうでもいいっていうヒトが、これほど大勢いるなんて。

今、この瞬間が楽しければそれでいい。
余計なことは考えたくない。
面倒くさいことはなるべく避けたい。
そんなヒトが大勢いて。

原発の現状を知って、対策を講じるよりも、
アイドルグループのお祭りが大切だって思うヒトが大勢いて。

ああ、もう無理かもしれないなあ、って久しぶりに感じました。
日本ってこんなに病んでるんだ。やっぱり手遅れかもしれないって。

マスゴミや狂育の洗脳による影響で、刹那的生き方を選んでしまっている場合、
必ずしも本人が悪いわけではないかもしれないけれど、でも、やっぱり
残念だなあと思う。

ネットでは、自分で気づいて、行動し始めている人たちが
増えてきているように見えるだけ余計に。

できるなら、みんなで一丸になって社会を変えていきたい、なんて、
理想を捨てきれずに、どっかにもっていたのかもしれない。
だからショックなんだと思う。

分かり合えないヒトとは、一生分かり合えない。
ただ、それだけのこと。

今、自分だけが楽しむことを選ぶヒトには、きっと、何を言っても無駄。

「みんなで一緒に頑張ろう」なんていう言葉は、所詮キレイゴトでしかないと、
諦めるしかないのかな。

選民という言葉は好きじゃないけれど、今の日本の状況を、見たくもない、
分かりたくもない、現実を受け入れたくない、というヒトとは、
お別れするしかないのかもしれない。

そんなことを思いながら、ちょっとブルーになってました。

人生には、きっぱり割り切らなきゃいけない時もあるらしい。
ひきこもり、万歳。

穴があったら入りたい・・・。

うーん。ワタシ、ちょっと思い詰めすぎてたみたいです。
前回の記事、有り得ないくらい病んでますね。
「放射能」の影響だということで、どうかお許しください。

あまりの勘違い振りに、抹消しちゃいたいくらいですが、
今後また、思い上がったことを書かないよう、戒めとして晒して置きます。

ワタシ、もともと「ひきこもり」なんですよ。
世間一般のフツーのヒトと、今更わかり合えるわけがない。

むしろ、後ろ指をさされ、非難される、マイナーな存在なんです。
それなのに、一体ワタシは何を思い違いしてたんでしょうね?

某アイドルグループのファンのヒトだって、「ひきこもり」ごときに
ゴチャゴチャ言われたくないに決まってます。

しかも、お金を稼いで、使って、経済を回してる彼らの方が、
「国」的には有難い存在な訳ですしね。

ワタシ、きっと錯覚してたんです。

暖かい応援コメントなんかいただいて、ついつい、いい気になってましたが、
これまで何度も書いているように、ひきこもりの戯言なんか読んで共感しちゃったり、
ほっこりしちゃったりするヒトがいる社会は、どこか間違ってます。

311以後、ちょっとココロが弱っていて「みんなの気持ちが一つになった」
なんていう妄想や、「みんな一緒に」とか「共に頑張ろう」なんて、
絶対不可能な虚言を、ついつい信じたくなっちゃってたんでしょう。

この社会は、根本的に歪んでるし、狂っていて、
だからワタシは、自主的にドロップアウトしたんだってことを、
すっかり忘れてました。

今のシステムに適応しようと必死で努力しておられる皆さん、
「ひきこもり」ごときが、偉そうなこと書いて、本当に申し訳ありませんでした。

他のヒトが何をしようと、ワタシには関係ない。
他のヒトにどう思われようと、どーだっていい。

ワタシはワタシが正しいと思うコトを一人でひっそり続けるだけ。
ただ、それだけ。

「メディアは嘘つき」ってわかっているのに、振り回される、
お馬鹿なワタシ。

初心に帰ろう。
社会人失格で、キ○ガイな
ひきこもり、万歳。

楽観主義でも悲観主義でもなく・・・。

能天気で、極端にポジティブな楽観主義にはなれない。
ゲンジツを知ろうとしないのは、罪だと思うから。

不安に駆られて、必要以上に未来を恐れて、絶望する悲観主義にもなれない。
考えるのを放棄するのも、開き直るのも、同じく罪だと思うから。

諦めることなく、希望を捨てるコトもなく、マイペースに淡々と
ゲンジツと向き合える強さが欲しい。

同じようなことを、これまで何度も書いてきたけど、
やっぱり落ち込むし、凹む、へたれなワタシ。
頭で理解していても、繰り返し同じ罠にひっかかる、愚かなワタシ。

自分の中の弱さも矛盾も、全部ひっくるめて
今、自分ができることをするしかない。
もう後戻りはできない。

浮かんで沈んでフラフラしながら、
それでもワタシは生きていく。
まだ「終り」じゃないと信じてるから。

ひきこもり、万歳。

先に気づいた人は、エライのか?

陰謀論とか、闇の権力とか、裏社会とか、テレビや新聞では絶対語られない
ようなことをネットでいろいろ知ってしまうと、マスゴミに簡単に
騙されてしまう人が、お馬鹿に見えてしまう。

どうしても上から目線になってしまうし、いつまでも真実に気づかないヒトを
「愚民」とか「愚衆」とか呼んじゃうこともある。

でも、どっちが上で、どっちが下とか、あるんだろうか?
すでに目覚めた人は、そんなに優秀なんだろうか?

ネットで陰謀論とかに関わってる人って、実生活では、
適応障害気味でキ○ガイっぽい人が多いような気がしませんか?

確かに、知識はないよりあった方がいいと思うけれど、
先に知った人が、後から知った人より必ずしも優れている、
というわけでもないはず。

ただ、タイミングとチャンスの問題にすぎない。

衝撃の事実とかを知ると、どうしても人に伝えたくなるけど、
興味のない人に知識を押し付けるのは、余計なお世話でしかなくて、
下手したら暴力にもなりかねない。

「あなたは間違ってる!」とか、「あなたが信じていることは全部ウソだ!」って、
いきなり言われて、「はい、そうですか」って受け入れられる人は少ないと思うし、
むしろ「そんなことない!」って逆に意固地になってしまう人の方が多いだろう。

行き過ぎの布教活動は、カルト扱いされかねない。

だから「ああ、この人は、まだ気づいてないんだなあ」と思っても、
そのヒトが自分で目覚めるまで、黙ってた方がいいんじゃないか、と思う
今日この頃。

いろいろなコトを伝えようとして、理解してもらえないのもイラつくけど、
気づいていないヒトが自分で目覚めるまでじっと待つのも忍耐が必要。
しかも、それじゃ、間に合わない可能性だってある。

でも、自発的に得た気づきじゃなきゃ、結局意味ないと思うんだよね。

「気づき」の時は、人それぞれ。個人差があるのは仕方ない。
最後まで気づけなかった人には、「残念でした」と言うしかない。

「気づき」の押し売りは、逆効果だし、今って本当に人類史上最大の危機なわけで、
いつまでも気づきたくないヒトたちに構っている暇なんてない。

残された時間が限られているのなら、目覚めたくないヒトたち関わって
いちいち落ち込むより、少しずつ目覚め始めたヒトたちと、
何らかの形でつながったり、情報を共有することを優先したい。

情報格差を助長するようで、心苦しいけど、もはや手遅れの感もあって、
すでに気づいたヒトが、それぞれ「できること」をするしかない気がする。

Going My Way
ひきこもり、万歳。

手間を惜しまない生き方。

昨日、あんこを作った。

小豆を発芽させたので、水に漬ける所から完成まで、5日間かかった。

ものすごい手間かけてるよなあ、と思いながら、
別にそれが苦だとは感じていない自分に気づく。

今の社会は、とにかく手間を省こうとする傾向があるようだけれど、
「手間」ってそんなに悪いものなんだろうか?

「手間」を惜しむヒトは、何の為に毎日忙しく過ごしているんだろう?
「手間」を惜しんで、余った時間で何がしたいんだろう?

あんこを手作りするのは、確かに面倒だけれど、一度作っておけば、
一ヶ月間毎週、簡単にヘルシーな「あんこデザート」が食べられる。
しかも、白砂糖を使っていたり、添加物が入っていたりする市販品を使わずに済む。

スプラウトを育てるのは、「手間」だけれど、
毎日新鮮な野菜が食べられるし、頻繁に買い物に行く「手間」も省ける。

自炊するのは面倒だけれど、少食・菜食を心がけていれば、
外食するためのお金を必死で稼がなくても何とか生活できる。
しかも、薬要らず、病院要らず、保険要らずの健康体になれちゃったりもする。

結局「生きる」ということは「何かに時間を費やす」ということで、
「手間をかける」ということと同じなんじゃないかな。

生き方の違いは、突き詰めると「何に手間をかけるか」の違いに過ぎない。

何でもカンデモ闇雲に、手間をかければいいってもんじゃないけど、
何でもカンデモ手間を省いて、ラクすればいいってもんでもない。

「惜しむべき手間」と「楽しむべき手間」の違いが分からなくなっているヒト、
多いんじゃないだろうか?

自分や自分の大切なヒトが、幸せになるためだったり、
健康になるための「手間」を惜しまなければいけないヒトって、
一体何のために生きているんだろう?

自分の着るモノ、食べるモノ、住むトコロ。
毎日の生活に手間をかけることができるワタシは、
きっとものすごく恵まれてるんだろうなあ、と改めて思う。

今日は、きなこを作ろう。
ひきこもり、万歳。

「祈り」の話。

ワタシは、自分で見たこと、経験したことしか信じたくない一方で、
自分の直感や本能に頼って生きているという、ものすごく矛盾しまくった人間です。

フツーに考えれば、神様なんて信じない、宇宙人なんているわけないって思うはず
なんですけど、ワタシ、地球という惑星には意思があると思っているし、
宇宙人の存在も信じてるんですよね・・・。

我ながら支離滅裂です。トンデモ系で、ごめんなさい。

水面下ではイロイロあるんでしょうが、表面的には、まだ何とか日常を保てている感じの
今日この頃。7月になりました。

そろそろ「祈り」の話をしようと思います。

このブログからもリンクさせてもらっていて、前にも紹介したことのある、
シドニーおちんさんがきっかけでした。

去年の10月旅に出たおちんさんが、311の後、臨時で戻ってこられて、
いくつか記事をアップされました。その中に、シドニーのお仲間が日本のために
祈ってくれているという話があったのです。

「お鎮まりジャッパン日本時間夜10時、5分間の祈り」については、
どこか別のブログで見かけたことがあるかもしれません。

簡単に言えば、日本時間の夜10時から5分間、日本の大地が鎮まるように、
フクシマが落ち着くように、祈りを捧げるって話です。
詳しくはおちんさんのページでどうぞ。

ワタシ、このお祈りに参加してます。目覚ましをセットしているくせに、
時々忘れたりもしますが、一応毎日祈ってます。

これは、自分の為なのか、被災地のヒトの為なのか、日本の為なのか、地球の為なのか
疑問に思いながらも、24時間のうちの、たった5分祈るだけなのに、
なかなか集中できない自分に腹を立てながらも、それでも祈ってます。

「祈り」なんて無意味だと思っているヒトもいるでしょう。
目に見えないものは信じないというヒトが多いかもしれません。

でも、目に見えない「放射能」という毒に曝され続けている今、
同じく目に見えない「祈り」という薬で対抗するのもアリなんじゃないかな、と思うんです。

ものすごく非科学的だけれど、科学が万能じゃないことは、もはや明確で、
理屈じゃ説明できないことだって、今の世の中にはいくらでも存在するでしょう?

ただ自分の無力さを嘆いたり、平穏な自分の生活に罪悪感を感じたりしていても
前には進めないし、具体的に一人ひとりができることって、本当に限られています。

もし、祈ることで少しでも精神が安定するなら、自己満足でもいいんじゃないですか?

すでに限界を超えて地球全体が破滅の道まっしぐらの今、偽善だろうが、迷信だろうが、
オカルトだろうが、自分にできることをする。

「もう祈るしかない」と思っているわけではなくて、他にもしていることはある。
ただ、「祈り」も「今、自分ができること」の一つに加えてみた。そういう感じです。

決してお祈りを薦めているわけではありませんが、強いて言うなら、臨時おちんさんの
一連の記事にはぜひ目を通していただきたいなあ、と思います。ちなみに、トンデモ系では
最近お引越しされたcalseedさんの「知っとうや2」もオススメです。

6月初旬に再び旅立たれた、おちんさん。
次に戻ってこられるのはシドニーの春、9月頃だそうです。
再会を楽しみにしています。

都合のいいことだけ信じる、
矛盾だらけの「ひきこもり」、万歳。

反原発と「ひきこもり」。

某政治家が、反原発運動に参加するヒトを「集団ヒステリー」だと
言った時も呆れたけれど、今度は某精神科医がトンデモ言説を吐いたらしい。

曰く「原発問題に過剰にのめり込んでいるのは、一般社会に強い欺瞞を
感じた人たち。特に、これまで一般社会にうまく適応できなかった、
引きこもりやニート。」

確かに、ひきこもりの中には、知的レベルが高いヒトも、情報収集に熱心な
ヒトも、今の世の中の流れを注意深く見ているヒトもいるでしょう。

劣等感と優越感がない交ぜになった、純粋な理想主義者、と言えない事もない。

でもねえ、ワタシ、小出さんを「神」だなんて思ってないんですよね。全く。

ゲームやアニメ、アイドルなんか、これっぽっちも興味ないし、
ココロの平穏を保つためにファンタジーに逃避しようなんて思わない。
「エヴァンゲリオン」なんか、知らない。

ワタシが「ひきこもり」としては、規格外すぎるのか、
この精神科医の分析が、あまりにも見当外れなのか。

小出先生の支持者の中には、バリバリ働いて、お金稼いで、
めちゃめちゃ外交的で、アクティブで、ひきこもりの対極にいるようなヒトも
沢山いるでしょうに。

それにしても、「安全な世界に住みたい」と願って、反原発を表明しただけで、
ヒステリーだと言われたり、適応障害の「ひきこもり」扱いされるなんて、
本当に冗談じゃねーって感じですよね。

でも、とりあえず、ご安心ください。

「ひきこもり」全員が、原発事故が起こって、小出先生が有名になったことで、
自分のルサンチマンを晴らすような、歪んだ神経の持ち主ではないですから。

意味不明の雑音は無視するに限る。

規格外の「ひきこもり」、万歳。

何ための節電か?

「節電」してますか?

ワタシ、エコロジーでエコノミーなWエコの「ひきこもり」ですから、
バッチリ節電してます。

別に電力会社や政府が五月蝿いからじゃないですよ。
「無駄なモノ」にお金やエネルギーを浪費することが嫌いなだけです。

本当は「電力は余ってる」って知ってます。
だからって「節電なんか糞食らえ」とは思わないんですよね。
電気を無駄に浪費するコトで「豊かさ」や「幸せ」を感じないので。

一部では、一連の節電キャンペーンの本当の目的は、
「やっぱり電気がないと不便だわ」とみんなに信じさせて、
原発再稼動させることだと囁かれています。

でも「節電」ってそんなにネガティブなコトですか?
ワタシ、もっと「当たり前」のコトだと思ってたんですけど?

むしろ、「節電」をきっかけに、電気だけじゃなくて、水やガスや
時間や労力を、無意味に浪費することの愚かさに気づくヒトが
出てくると思うんですけどね?楽観的過ぎですか?

だいたい、日本の経済って「無意味な消費」によって成り立ってて、
その「無意味な消費」を支えるために、みんな奴隷のように
働かされているわけでしょ?

「アレ?節電生活も、別に悪くないじゃん」とか
「クーラーに依存しない節電生活の方が、自然かも」とか、
気づくヒト、増えて欲しいですね。

人間らしく生きるのに、電力やお金はそれほど必要ない、と実感できれば、
これまでの生活が、いかに無駄だらけだったか、ということにも
気づけると思うんですよね。

「節電」からシンプル・ミニマム主義へ。
ひきこもり、万歳。

なでしこ、万歳。

サッカーで勝って、お祭りモードもいいけれど、
このドサクサに紛れて、何かトンデモないことが
裏で行われていそうな、とっても嫌な予感がする今日この頃。

疑心暗鬼な、ワタシ、ひきこもりです。

牛肉からセシウムが検出されたって騒いでるけどさ、
セシウムに汚染された食品が牛肉だけ、なわけないじゃんね?
もうアレもコレも食っちまってるって。

汚染食品を避けようと悪足掻きするよりも、
いかに放射能物質に影響されにくいカラダを作るか、が
重要だと思うんだよ。

あ、乳幼児や妊婦さんは、まず物理的に原発から、
できるだけ離れた方がいいだろうけどね。

ということで、やっぱり「食」。
「生き方」そのものを、変えざるを得ないんだよ。

これまで何度も書いてきたけど、
3.11以前と同じ生活はもう二度とできない。
表面上「同じように」見えても、絶対に「同じ」じゃない。

根本から考え方を変えるしか、残された道はないんだよ。

「なでしこ」の優勝に感動したなら、今度は我々一人ひとりが、
「最後まで諦めずに戦う」生き方を選ばなきゃね。

目の前にある現実がどれ程厳しくたって、見て見ぬ振りを
してちゃいけない。

改めて思う。
「ワタシは、最後まで、諦めない」。

奇跡を起そう。
ひきこもり、万歳。

休肝日、休眼日、休脳日。

最近、眠くて、眠くて、仕方がない。

暑さのせいか?
放射能物質の影響か?
疲れているのか?

多分、全部。

311後、PCに張り付いている時間も長くなったし、
「それ以外」のことに関しては手抜きしまくり。

毎日を丁寧に生きれていないなあ、と思う。
目の前にある、小さな幸せに感謝できてないなあ、と思う。

今は、みんなで全力で走り続けるべきなのかもしれないけれど、
ちょっとバテ気味の今日この頃。

あまりにも、いろいろなコトが「あっ」と言う間に変化して、
その変化に伴う情報を処理しきれていない気がする。

日常的にお酒を飲むヒトは、健康を損なうリスクを下げるために、
週に1,2日、アルコールを摂取しない「休肝日」を設けるべきらしい。

ワタシには、PCの画面を見ない「休眼日」と、
余計なコトを考えない「休脳日」が必要なのかもしれない。

この数ヶ月、震災や放射能や反原発、経済に政治。
「社会」の問題にどっぷり浸かっていたけれど、
ちょっとだけ「自分」の生活に重点を戻してみよう。

このまま突っ走って、溢れる情報に溺れて、本質を見失ったり、
燃え尽き症候群になる前に。

自分の中の「バランス」を、きちんと整えておくことも、
いざという時のために、大切だと思うから。

「カラダ」と「ココロ」のSOSには敏感でありたい。
ひきこもり、万歳。

サバイバルの基本。

ワタシ、「ひきこもり」のくせに、バックパッカーでキャンパーという
妙にアウトドアな人間です。部屋にこもるより、山にこもった方が
向いているんじゃないだろうか、と時々思います。

まだ、今後世界がどうなっていくのか、気になるので、
今すぐに、インターネットとおさらばして、世俗との接触を完全に絶つ
つもりはないですが、いずれは・・・「山」に帰りたいです。

今回、短期間ですが、久しぶりに旅に出て、自然の偉大さを、
ひしひしと感じてきました。

ワタシは、人間が、この地球という惑星を破壊してしまうんじゃないか
と危惧してたんです。人工地震や気象兵器、戦争、農薬、放射能。
キケンな要因は山ほどあるでしょ?

でも、この地球という惑星は、実は、そんなにヤワじゃないのかもしれない。

自然の中で暮らしながら、思ったんですよね。
人間なんて、ちっぽけな存在で、この地球が本気を出せば、
きっと勝負になんかならないだろうって。

ネット中心に情報を入手して生活していると、すべて人間を中心に考えてしまうし、
自然への畏怖を忘れがちになるけれど、もし、どちらかが滅びるとすれば、
消えるのは、多分、人間。

だからこそ、この星を怒らせないようにしないといけないと思うし、
最終手段を選ばざるを得ないところまで、追い詰めてはいけないと思う。

地球から、一方的に恵みを得るだけで、感謝することすらせず、
自然が作り出してくれたものを無駄遣いし続ける人間。

資本主義に背を向けて、社会をドロップアウトした「ひきこもり」のワタシが
100%正しいとは思わないけれど、100%間違っているとも思わない。

だから、「何かが間違っている」この時代を、
ワタシなりに、生き抜いてみるつもりです。

地球という惑星への敬意と、自然への畏怖を胸に抱きながら、
ちっぽけな人間にも、できることがあると信じて。

サバイバルの基本って、見えない敵と戦ったり、自然の脅威から身を守ること
じゃなくて、地球のために、自分には何ができるのか考えることだと
思うんですよ。

ひきこもり、万歳。
プロフィール

KIKI

Author:KIKI
今、必要なのは、情報に流されず、変化を恐れない「強かさ」と「しなやかさ」。シンプル・ミニマム志向で、消費の縮小と健康の維持に取り組む「ひきこもり」のブログ。(コメントは有難く読ませていただいていますが、現在お返事をする余裕がありません。何卒ご了承ください。)

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