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高級時計は、もう要らない。

一日24時間。

1000円の時計だろうと、
10000円の時計だろうと、
100000円の時計だろうと
1000000円の時計だろうと、

一分は一分。一時間は一時間。

高級時計って、必要ですか?
欲しい、と思いますか?
高級時計を所持することに、どんな意味があるんですか?

正直に白状します。
昔、憧れてたことがあります。
何十万もする高級時計に。

ところで、高級時計って、一体何を象徴しているんでしょうね?
社会的地位とか、金銭的成功とか、ステータスですか?

ワタシには、あまり価値があると思えるモノじゃないみたいですね。

しかも、時計が好きなヒトって、何個も何個も持ってるでしょう?
え?服とか、TPOに合わせて複数必要って?

オシャレなヒトって、大変ですね。
お金もモノも保管するスペースも沢山必要で。

別に時計なんか無くてもいいんですけど、現時点では、
時刻がわかった方が、便利なことがあるので、
ケータイを持ってないワタシは、一つだけシンプルな時計を持ってます。

高級品である必要はありません。時間がわかれば十分なんですから。
オススメは、手巻きかソーラー。
電波時計はできれば避けた方がいいでしょう。

ココだけの話、高級時計が好きなヒトって、
自分に自信がないヒトが多い気がしませんか。

ヒトの価値は、持っている時計の値段とは関係ないはず。
ひきこもり、万歳。
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高級食器は、もう要らない。

ワタシが、初めてモノに執着することの無意味さを感じたのが
阪神淡路大震災後の家の台所で、バラバラに砕け散った食器を
見た時でした。

仕方ないです。食器棚が倒れたので。

そして、思ったんです。
食器のように、壊れやすいモノにお金をかけるくらいなら、
もっと有意義なお金の使い道が別にあるんじゃないだろうか、って。

買ったばかりのお気に入りの食器に限って、
落として割ってしまったりすることって、よくあるでしょう?

形あるモノは、いつかは壊れる。
人生、儚いものなんですよ。

そもそも、どんなに高級な食器だろうと、食器そのものは
あくまでも「入れ物」。大事なのはその「中身」なんですよ。

昔働いていた工場のパートのオバサンが、自慢気に話しておられました。

「やっぱり上等の食器はいいわよー。スーパーのお惣菜を盛っただけでも
食卓が豪華になるものー。」って。

ワタシ、ものすっごく違和感があったんですよね。
上等の食器を使ったって、中身が出来合いの惣菜じゃ、意味ないじゃんって。

使い道に困るくらいお金があって、豪邸に住んで、何から何まで「高級品」
というヒトは、どんなに目玉の飛び出るような値段の食器でもフツーに
使うことでしょう。

でも、予算に限りのある生活をしているヒトの場合は、
「入れ物」にお金をかけるよりも、「中身」にお金をかけましょうよ、と
ワタシは思うんですよ。

食器って、壊れやすいだけじゃなく、重くて嵩張るから、
いざ、という時に持って逃げられないですしね。

ということで、ワタシは、食器にはお金をかけない派です。

高級食器は、要らない。
ひきこもり、万歳。

高級ブランドの財布は、もう要らない。

生き延びる為に、最低限必要な額っていうのはあると思うけど、
その最低限を越えたら、あとは、どれだけ「お金」を持っていようが、
別に大した問題じゃないんじゃないかな。

多い少ないに関わらず、持っている「お金」を
どのように使うのか、その方が重要。

「お金」そのものに、それほど価値を感じないワタシは、
いわゆる「財布」を持っていません。

黄色い財布が縁起がいいとか、
ブランド物の高級財布を持つと、お金が増えるとか、
社会人になったら、それなりの財布を持たないと格好悪いとか、
いろいろ言われているけれど、本当に「どーでもいい」と思うんだよね。

ワタシは、「カード入れ」と「小銭入れ」があれば十分ですが、
世間の大半のヒトは、相変わらず、高級ブランドの
妙に分厚い財布を持っているようです。

財布に何万円も払うヒトに限って、お金に困ってたり、
お金に執着してる「お金教」の信者だったりするのは気のせいですかね?

人間も財布も、大事なのは上っ面ではなく、中身。
そして、もっとも大事なのは、
本来持つ力を、いかに生かすかというコト。

どうしても財布が欲しいなら、自分で作るか、
フェアトレード商品や民芸品でも買いましょう。

高級ブランドの財布は、要らない。
ひきこもり、万歳。

旅に出て、改めて気づいたこと。その3

旅に出る前、本当は、ちょっと不安でした。

お金を稼いで、お金を使って、消費して、
所謂「当たり前の生活」をしているヒトを見て、
ワタシは何を思うんだろうって。

自分が情けなくなるかも、とか。
「フツーの暮らし」に戻りたくなるかも、とか。
誰も彼も羨ましくなるんだろうか、とか。
アレも欲しい、コレも欲しい、という誘惑に負けるんじゃないか、とか。

でも、全然平気でした。

いろんな意味で社会が変化して「何でもアリ」になってきたから
かもしれないし、大量生産・大量消費の資本主義に疑問を感じるヒトが
増えてきたからかもしれない。

ここ数年「ひきこもり生活」を送ってきて、「自分は自分」という、
何か芯のようなモノが出来上がったのかもしれません。

とにかく、前ほど惑わされるコトも、迷うコトも、悩むコトもなく、
自分とは違う世界に生きるヒトを観察することができました。

ワタシは、ワタシが正しいと思うコトをする、ただそれだけのこと。

スプラウトを育てて、新しい社会を妄想して、
アレ要らない、コレ買わない、って戯言を綴る。

そんな生活が、ものすっごく大切で、貴重で、有難いな、と思ったんですよ。

旅に出ることで、自分の当たり前の日常が、いかに恵まれているか
改めて気づいたってことなんでしょうか。

いろんな所で、いろんな火種が燻っていて、もう消せないんじゃないか、
と怖くなることもあるし、気になることは山ほどあるけど、
慌てず騒がず、今自分にできることを、地道に積み重ねて生きていきます。

上っ面だけ取り繕って、中身は空っぽという社会を変えるには、
ひとり一人が、この馬鹿馬鹿しいシステムから、
抜け出す努力をするしかないと思うから。

そんなことをぼんやり考えた、旅の終わり。

ということで、旅に出て改めて気づいたこと3つ。
まとめてみました。

マイペースに生きる。
ひきこもり、万歳。

旅に出て、改めて気づいたこと。その2

世の中には、余計なモノが溢れている。

美術館や博物館などの所謂「観光巡り」に興味のないワタシは、
旅に出ると、とにかく周りを観察していることが多い。

街行くヒトの着ているモノ、持っているモノ。
店で売っているモノ、客が買っているモノ。
誰かが食べているモノ、飲んでいるモノ。

「消費」によって社会は回っているんだなあって、つくづく思った。
「お金」がないと、なんにもできないって思っちゃいそうだなあって感じた。

あのヒトも、このヒトも、きっと「所有欲」の塊なんだろうなあ、
モノを持つことを諦めたら、もっと軽やかに生きられるだろうになあ、って思った。

アレも、コレも、ソレも、自分で作れそうだなあ、って思った。
何でこんなもん、わざわざ売ってるんだろう、買うヒトいるのかな、って思った。

昔々は、欲しいモノがいっぱいあって、欲しいモノを手に入れるために
頑張って働いてお金を稼ごうと思ってたこともあった。

でも今は、欲しいと思えるモノ、ほとんどなくて、
ワタシには必要のない、無駄なモノばかりの世の中が、
ものすごく虚しく見えたんだ。

できるだけシンプルに、ミニマムに、
身軽に生きるのが一番。

ひきこもり、万歳。

旅に出て、改めて気づいたこと。その1

「食べたい時に、カラダが食べたいモノを、食べられる。」
これは、とっても恵まれていることなんだ。

ワタシが普段食べている、スプラウトや発芽玄米を、
外で食べられる所は極めて限られているし、もし運よく
見つかったとしても、有り得ない値段がついている。

「トイレに行きたい時に、側にあるトイレに、自由に行ける。」
これも、実は非常に有難いことなんだ。

家にいる時は一日中ハーブティーやリジュベラックを飲んで、
好きな時に何度もトイレに行っているけれど、旅に出ると、
トイレに行く回数が極端に減る。だって、どこにでもトイレが
あるわけじゃないし、毎回喫茶店に入るわけにもいかないから。

「眠りたい時に、眠りたいだけ眠れること。」
これも、旅の間はなかなか難しかったりする。

安宿だったら、同室のヒトに気を使うし、ホテルだったとしても、
朝食やチェックアウトの時間を気にしないといけない。
別に、枕が変わると眠れないなんていうデリケートな人間じゃないけれど、
旅に出ると、どうしても眠りの質が落ちる気がする。

だから、「旅」という非日常は、楽しいけれど、不便でもある。

でも、食べたい時に食べたいモノが食べられて、トイレに行きたい時に
自由に行けて、眠りたい時に眠りたいだけ眠れるような生活を
普段送れているヒトは、一体どれくらいいるんだろう?

「ひきこもり」のワタシは今、本当に恵まれた生活を送っているんだなあと、
改めて思った。

働き人だった頃は、現実逃避願望が強かったから、旅に出るたびに
「帰りたくない」と思っていたけれど、今は、違う。

自分の家で過ごす、当たり前の毎日が、何よりも愛おしい。

ひきこもり生活は、とても健康的で、とても幸せだ。

ひきこもり、万歳。

新しい社会の教育事情。

この物語は、フィクションです。

実際のデータに基づいているわけではありません。
科学的もしくは特殊能力による予測や予言でもありません。

こんな風になればいいのになあ、という未来を漠然と思い描いただけの
抽象的なイメージにすぎません。

つまり、一個人の単なる妄想です。
どうぞご了承ください。

続きを読む

「KY」なんて言葉は、もう要らない。

旅に出てる間、初対面のカワイイ女の子とお話しする機会がありました。

ワタシ、もともと社交的なヒトではありませんが、「フツー」に振舞うのが
これほど疲れるということを久しぶりに思い出しました。

共通の話題が、全くないんです。

流行の服?噂のコスメ?新しくできたレストラン?
話題のドラマ?面白いCM?芸NO人のゴシップ?

どれも知らないし、興味もない。

なんの話をすればいいやら、大変苦労しました。

にこやかに、相手と適度な距離を保ちつつ、当たり障りのない会話を楽しむ。

そんな高度な技術、ワタシにはありません。

冒頭の彼女とは、お天気の話を3分して、終わりました。

彼女の振ってくる話題に楽しそうな相槌を打つコトもできず、
その場を盛り下げてしまったわけです。

さぞかし乗りの悪い、変なヤツだと思われたことでしょう。

すっかり忘れていましたが、ワタシ、空気を読むのが苦手です。

でも、空気を読めないことって、そんなにダメな事ですか?

その場の雰囲気を掴んだり、相手の求めてることを察することに
神経た使って過ごすのって、しんどくないですか?

ただ、その場を盛り上げるためだけにエネルギーを使うくらいなら、
「今、自分が本当にすべきこと」に集中したいと思うワタシは、
やっぱり社会性に欠けてるんですかね?

KYと言われないように、必死になるくらいなら、もっと他に大事なコトが
あると思うんですけど。

注意すべきコトとか、気づくべきコトとか、いくらでもあるでしょう?

チャラチャラと戯れ続けるために、空気なんか読まなくても
いいんじゃないですか?

どうせ読むなら、時代の流れに敏感になりましょーよ。

KYで結構。
ひきこもり、万歳。

「ひきこもり」は「もやしっ子」

《本日の収穫》
もやし 
カイワレ 
アルファルファ 
大麦若葉

ワタシ、「もやし」を蜂蜜1キロが入っていたガラス瓶で育ててます。
1瓶につき、小さじ3くらいの緑豆を入れて、一晩水に漬けて、
あとは毎日洗うだけ。

季節にもよって違いますが4日~1週間くらいで食べられます。

瓶を4つ、「もやし専用」にして、ローテーションさせて使ってます。
つまり、だいたい週に4日は「もやし」を食べているわけです。

お気に入りの食べ方は、「生もやしのナムル」

ボールに「もやし」と「カイワレ」を入れて、塩を少々振って、揉みます。
嵩が減って、しなっとしてきたら、おろしニンニクを混ぜます。
ごま油をかけて、出来上がり。

超簡単です。

スーパーで売っている「もやし」より、若くて新鮮な「もやし」を
生でいただきます。

超美味です。

生で食べてもよし、炒めてもよし、スープにしてもよし、
チャーハンやパスタに混ぜてもよし。

「もやし」、万能です。

それにしても、塩もみって、キャベツにしてもキュウリにしても、
素手でやるのが一番な気がするのはなぜだろう?

あ、ニンニク混ぜる時はお箸を使うけどね。

「もやし」、大好き。
ひきこもり、万歳。

夢は大きく、行動は地道に。

脱・資本主義宣言なんて書いてるくせに、
やってることは、これまでと一緒。

なるべくシンプル・ミニマム・ナチュラルに生きられるように、
要らないモノを処分して、スプラウト育てて、自炊生活をしているだけ。

生活の一つ一つを、ほんの少し変えるだけなんて、
地味で下らないと思うヒトもいるかもしれない。

もっと派手に大騒ぎしなくちゃ意味ないと思っているヒトも
いるかもしれない。

でも、極端な行動は長続きしないし、大きな改革には大きな痛みが伴う。

大勢で一斉に動いた方が効果的なこともあるだろうけど、
生活の細かい部分を変えるコトもやっぱり大事。

自分自身の日常の、ちっぽけな事柄すら変えられないヒトに、
社会が変えられるとは思わないから。

それに、同じコトをやっていても、実は、ちょっとした違いが
あったりもする。

これまでワタシは、「ひきこもり」になって、できるだけ資本主義から
距離を置いて生きられれば十分だと思ってた。

だけど、今は、資本主義を否定したその先に何があるのか、
自分がどこに向かっているのかを常に意識しながら生活している。

同じ行為でも、それにどんな意味があるのか、その行動が
どんな動きとつながっているのか、しっかり自覚することって
とても重要だと思うんだ。

何が起こってもおかしくない今の時代を、ただ、なんとなく
受身に生きるのはモッタイナイ気がするんだよ。

だからワタシは、自分の身の回りの小さな変化を積み重ねて生きていく。

千里の道も一歩から
ひきこもり、万歳。

杏仁豆腐は、もう買わない。

ワタシ、自炊する「ひきこもり」です。
日々の食事はパンやデザートを含め、たいてい自分で作ります。

でも、スーパーに行くと「久しぶりに食べたいなあー」と
思うモノがいくつかあります。

その一つが「杏仁豆腐」。

昔はコンビニで「自分へのご褒美」とか言いながら、
よく買ったものです。

今は、節約第一の「ひきこもり」。市販のスイーツを買う気はないし、
わざわざ杏仁霜を買ってまで作らなくてもいいや、と諦めてたんです。

ところがこの前、某レシピサイトを徘徊していて、すごい事実を
発見しました。

杏仁霜の代わりにアマレットを使って杏仁豆腐ができるらしい。

ワタシ、酒飲みの旅人でしたから、いろんなお酒がウチにあります。

早速、そのまま飲むには妙に甘ったるくて、何年も放置していた
アマレットを引っ張り出してきて作ってみました。

材料は、豆乳・寒天・アマレット。

超シンプル。超カンタン。しかも、フツーに美味しいです。
市販のものよりアッサリ。甘党のヒトは、砂糖を加えてもいいかも。

アマレットとミルクを混ぜれば杏仁豆腐の味になるって
なんで気づかなかったんだろう。

まあ、杏仁豆腐というモノは、お店で買うか、
レストランで食べるしかないと思い込んでたからなあ・・・。

ちなみに、ウォッカに杏の種と砂糖を漬ければ「アマレットもどき」が
自分で作れるみたいです。

毎年、杏ジャム作ってるにもかかわらず、種を捨ててた、お馬鹿なワタシ。
なんて勿体無いことしてたんだろう。

ということで、もう杏仁豆腐は買いません。
アマレットも自分で仕込みます。

ちょっと調べれば、意外に簡単に自分で作れるもの、
本当にいっぱいあるんですよね。

忙しい働き人には、その「ちょっと調べる時間」が
ないかもしれませんけど。

「金」はないけど「時間」はたっぷり。
ひきこもり、万歳。

スプラウトと少食

≪本日の収穫≫
カイワレ 
レンズマメ 
アルファルファ

これまでにも少食・粗食・なるべく菜食の食生活については
何度か書いてきました。

ワタシが少食を気に入っているのは、別に安全な食べ物がどーとか、
放射能汚染がどーとかっていう理由からではありません。
まあ、それも大事なことですけどね。

ワタシにとって、もっと大切なのは、
なるべく買い物に行かずに済むこと。
なるべく食費を安く済ますこと。
なるべく医者にかからなくて済む健康体を保つこと。

そして今は、スプラウト中心に毎日の生活を送っています。

でも、放射能を避けるために、嫌々スプラウトを育てているわけでも、
美味しくないのを我慢しながら無理やり食べているわけでもありません。

面倒くさがりで、へたれ代表みたいなワタシが続けられている理由は何か。

ただ、単純にスプラウトを食べながら生きるということが、
ワタシのカラダには合っているんだと思います。
カラダが喜んでる気がするし、実際に美味しいと感じるし。

お肉やお魚を食べるコトもあるけれど、時々でいいなあ、と思う。
お酒も飲んだりするけれど、少―しだけで十分だなあ、と思う。

ワタシ、もともと暴飲暴食が当たり前、ファーストフードと
インスタント食品とコンビニ弁当が主食ってヒトでしたが、
「ひきこもり」になって、スプラウト生活を始めて、食の嗜好が変わったみたいです。

食生活を変えたいと思っていても、いきなり少食にしたり、
菜食にしたりするのは無理があると思うので、まずは、
今の食生活にスプラウトを加えることから始めてみては
いかがでしょうか。

テレビとか栄養学とか医学とか、○○理論とか○○健康法とかを
鵜呑みにするんじゃなくって、一人ひとりが、自分に合った食生活を
見つけられればいいんじゃないかなあと思うんですよね。

スプラウト君たち、今日も元気に育ってくれて有難う。

ひきこもり、万歳。



追記

スプラウトの種等の入手先について。
「ひきこもり御用達」なんて言われると、お店にとっては
あまり嬉しくないかなあ、と思って、これまで書いてなかったのですが、
質問があったので書いちゃいましょう。

「もやし研究会」さん
「ローフード通販ショップLOHAS」さんがオススメです。

脱・資本主義宣言。

ワタシは、もともと反資本主義者です。
ブログのアドレスがanticapitalismなのは偶然ではありません。

ワタシが「ひきこもり」になった原因を突き詰めて考えてみると、
資本主義の思想を受け入れることができなかったからだ、
と今ならわかります。

「ひきこもり」という生き方は、既存の価値観を無条件に受け入れず、
現状に疑問を持ち、リアルな人間関係やメディアから
できるだけ距離を置いて、資本主義や消費社会に
ゆるやかに背中を向ける生き方だと、主張してきました。

でも、今は「ゆるやか」に背を向けるだけじゃ不十分なんじゃないか、
と思っています。

もっと積極的に、資本主義から脱け出すために動かなければならない。
今の病んだ社会をどう変えていくのか。
どんな社会なら、自然と共存しながら、穏やかに、人間らしく生きられるのか。
資本主義ではない生き方を、もっと具体的に実践しなければならない。

そのために参考になるのが、日本が高度経済成長する前の生活を覚えている
高齢者の知恵や、「発展途上」と呼ばれているような地域の文化、アウトドアや
サバイバルの知識、江戸時代や縄文時代の生活様式に関する文献など。
エコビレッジや自給自足生活者の実践経験から学べることも沢山あるでしょう。

ワタシ、社会とのつながりが極めて少ない「ひきこもり」ですから、
この際、徹底的に資本主義を否定して、どこまで生き延びられるか、
試してみようと思います。

なんか、応援してくれているヒトもいるみたいだし。
コメントを下さった皆さま、どうも有難うございます。

ひきこもり、万歳。
プロフィール

KIKI

Author:KIKI
今、必要なのは、情報に流されず、変化を恐れない「強かさ」と「しなやかさ」。シンプル・ミニマム志向で、消費の縮小と健康の維持に取り組む「ひきこもり」のブログ。(コメントは有難く読ませていただいていますが、現在お返事をする余裕がありません。何卒ご了承ください。)

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